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公共経済政策ワークショップ

2005年6月27日

金融危機から量的緩和へ〜90年代以降の日本銀行の対応

中曽宏(日本銀行金融市場局長)

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1、1990年代日本の金融危機のアウトライン
  1990年にバブルが崩壊した後、91年の東邦相互銀行の破綻を皮切りにして金融機関は次々に破綻し始め、2004年度までにその数は181行にものぼった。通常、銀行の破綻はセーフティネットによって対応されるはずであるが、日本のその仕組みは当初不十分なものであったといわざるを得ない。1986年に改正された預金保険法は初歩的なものであり、預金の全額保護ができなかったのである。しかしその後96年に全額保護の仕組みが出来上がり、さらに98年の春、秋の二回の改正で公的資本投入の枠組みも整ったことでセーフティネットの仕組みが日本でも完成したといえる。
  それでは金融危機に関する実際のデータを見ていくことにする。1999年には不良債権の額は対名目GDP比で7.8%にものぼったが、日本では信用仲介機能が銀行に過度に依存していたことを考えると、銀行の破綻が経済に与える影響は必然的に大きなものになった。そして不良債権の処理金額を見ると、1992年から2003年までで合計123兆円で日本のGDPの約2割に匹敵する莫大な額がかかった。また、公的資本の投入可能額も70兆円にものぼったが、公的資本注入の仕組みは危機の後半になってから整ったものであり、それゆえ経済へのダメージがその分大きくなってしまった。それではなぜ遅れてしまったのか。その背景には96年に、国民生活にはあまり直接関係のなかった住専の破綻処理の際に6800億円もの公的資金が使われたことが政治問題となったために、公的資金の議論が封印されてしまったことがある。しかしその一方で金融機関の危機は着々と進んでいた。97年秋には京都共栄銀行、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、コ陽シティ銀行の5つの金融機関がおよそ1週間おきに次々と破綻し、この頃になると国民の金融機関に対する危機意識は高まった。そしてコ陽シティが破綻した頃には国内で金融機関に対する様々な噂がされるようになり、取り付けも起こるようになった。これを受けて政府・日銀は共同声明を発表し、金融システムの安定の確保と預金者の保護を約束することで事態を沈静化させた。また金融機能安定化緊急措置法を制定し、佐々波委員会を設けた後、98年には銀行に1.8兆円の注入を決定した。しかしこれには、コア・キャピタルではなく主として劣後債によって行われ、また、銀行が横並びで申請したため注入額があまりにも少額になってしまった、という問題点が存在した。さらに98年秋には総資産が約26兆円にものぼる日本長期信用銀行が破綻し、この処理についていわゆる金融国会で議論された。その結果98年10月に金融再生法と金融機能早期健全化法が成立し、長銀は前者に基づいて国有化され、また、後者によって99年に15行に対して7兆円を超える資本注入が行われた。そして、この段階に至り日本のセーフティネットは完備されたといってもよいだろう。
  ところで、5年物の銀行債と日本国債とのスプレッドを見ると、1990年代末と2002〜2003年頃において両者の乖離は大きくなっているが、これはまさに人々が銀行に対して不安を抱いた時期と一致している。また、日銀券の発行額も90年代後半と2000年代前半に増えているが、前者は銀行危機によって人々が預金を引き出して現金で保有するインセンティブが生じたためであり、後者はこれに加えてゼロ金利や量的緩和政策によって現金で保有することの機会費用が一段と低下したためだと考えられる。

2、最後の貸し手機能(日本のケース)
  最後の貸し手機能として、〔1〕破綻金融機関へのつなぎ融資、〔2〕市場の安定化のために行われる流動性供給(これは市場全体に行き渡るという点で狭義の特融とは異なる)、〔3〕ノンバンクへの特融、〔4〕破綻・問題金融機関へのリスク・キャピタルの注入、〔5〕危ない銀行への流動性の供給(典型的な特融ではあるが、90年代の金融危機時には一度も用いられた実績はない)、の5つのタイプがある。このうち、〔3〕は山一證券の破綻の際に用いられたが、1.2兆円の特融のうち9.3%にあたる1,111億円が回収不能となり、また〔4〕においては日本債券信用銀行の救済のために出資した800億円全てが毀損してしまった。日債銀のケースは国会でも問題とされたが、当時はまだ破綻処理の枠組みが整っておらず、また、日銀は物価の安定と金融システムの安定という責務を担っている以上何もしないという選択肢はなかったと思っている。

3、日本の経験からの問題提起
(1)Solvency(支払い能力)かLiquidity(流動性)か?
  伝統的には、支払い能力に問題がなければ一時的に供給した流動性は必ず返ってくると考えられている。しかし、このような主張は現実の金融危機の下では意味を持たない。例えばバランスシートや格付けの悪化等により銀行に悪い噂がされるようになるとまず大口の預金者が預金を引き上げようとするが、銀行は手持ちの流動性を十分に持っておらず、したがってそれを増やすために優良な資産から売却を始めるだろう。すると不良債権のみが残るようになり銀行の資産の質は劣化し、それが更なる悪い噂を呼び悪循環に陥っていく。そしてこれは銀行の支払い能力の問題となり、銀行の破綻へとつながっていくのである。ゆえに支払い能力に問題がなければ一時的に供給した流動性が必ず返ってくるという主張は危機時にはあまり意味を持たないといえるのである。

(2)最後の貸し手機能の範囲はいかにあるべきか?
  まず金融機関のコングロマリッド化の場合を考えてみるが、その良い例として山一證券のケースがある。このケースではノンバンクである山一證券に特融を行ったことが問題となった。それではなぜ日銀は特有に踏み切ったのか。山一證券は外国に銀行子会社を有していたが、各国の銀行監督当局は自国の債権者を保護する観点から、これらの銀行の資産の囲い込みを行おうとした。そのため山一グループは国を越えて資金を自由に回すことができず、債務の返済も自由に行うことができなかったのである。これは国際金融市場の動揺につながる。それゆえ日銀は特融を行い、その使途も海外の債務弁済も含め自由とすることを決意したのである。
  次に銀行業務が国境をまたいで行われている場合を考えてみる。例えば日本に営業拠点を有する外国の銀行が経営危機に陥った場合、本国にある本店が危なくなると、日本にある支店もデフォルトし日本の経済や市場に悪影響を及ぼす恐れが出てくる。そこで日本の支店を本国の中央銀行が救済するか、それとも受け入れ側(日本)の中央銀行が救済をするかという問題がある。しかし現在のところはっきりとしたルールはない。

wsmakaso02(3)「建設的なあいまいさ」は本当に建設的か?
  これはつまり、何か政策を実行するにあたっては原則を設けたほうがアカウンタビリティの観点からも望ましいということである。そこで日銀は特融を行うにあたり、〔1〕システミック・リスクが顕現化するおそれがあること、〔2〕日銀の資金供与が必要不可欠であること、〔3〕モラルハザード防止の観点から関係者の責任を明確にすること、〔4〕日銀の財務の健全性に配慮すること、の4つの原則を設けている。

(4)民間委託による解決は常に望ましいか?
  ある金融機関が経営難に直面した時、それによって損失を被る関係金融機関が集まって救済パッケージをまとめるスキームが考えられる(ただし、情報の非対称性が存在するため公的ブローカーが仲介となりうる)。しかし、この方法だと抜けがけのインセンティブが存在してしまう。また、破綻機関の債務が大きく債権者が多い、救済する側の金融機関に株主代表訴訟のリスクがある、中央銀行等公的ブローカーにもまとまらなかったときのリスクがある、といった理由のためパッケージはまとまりにくくなってしまう。したがって90年代の日本のように金融システム全体が脆弱化している場合には、最初の2、3回はうまくいったとしても、それ以降はあまり期待のできない手法なのである。

(5)金融危機を踏まえた上での金融政策の役割とは?
  日銀は2001年3月に量的緩和政策を開始し、当座預金残高を政策目標とした。それ以後当座預金残高目標は段階的に引き上げられ、現在は30〜35兆円となっている。法定準備が6兆円であることを考えると、銀行は約25〜30兆円の超過準備を持っていることになるが、銀行がこれほど巨額な準備を持つ理由として、〔1〕金利がゼロに限りなく近く超過準備を持つことの機会費用が少ないため、〔2〕90年代の銀行危機の悪夢があるので流動性を手元においておきたいと考えるため、の2点がある。
  それでは金融緩和政策の狙いは何なのであろうか。それは、〔1〕銀行貸出を促進することで企業の資金繰りを助け、景気回復につなげる、〔2〕銀行に流動性を潤沢に供給することで金融システムを安定させる、の2点である。また、〔2〕は(1)で述べた悪循環を遮断する効果も持つ。〔1〕について見てみると、実際日本経済は現在バブル崩壊以降3度目となる回復の兆しを見せており、今度こそ本当に回復させるためには量的緩和政策の枠組みを維持する必要がある。しかし2005年に入ったあたりから公開市場操作において札割れが頻発するようになっており、ターゲットを維持することが難しくなってきている。そこで2005年5月の金融政策決定会合において「なお書き」で資金需要が著しく弱い場合にはターゲットを一時的に下回ることが認められた。なお、この札割れは銀行の健全性が回復し以前ほど流動性を持つ必要性がなくなったため生じているのである。