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公共経済政策ワークショップ

2005年11月7日

化学物質リスク評価の手法と社会経済分析の役割

岸本 充生(産業技術総合研究所研究員)

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(1)化学物質のリスク評価と管理

 費用便益分析を用いて効率的なリスク管理を行うための理論やフレームワークはすでにできており、教科書にもそのように書かれているが、実際に、そのフレームワークを現実社会のリスク問題に適用しようとすると、様々な問題につきあたることになる。

 私が今回の話題とするリスクは、「健康リスク」である。それはヒトが被り、保険等では減少することができないものと定義できる(いわゆる「経済的リスク」は保険を組むことによってある程度回避できる)。さらにそのリスクは個人のリスク=(事象の重大さ)×(起きる確率)
またそれは
個人のリスク=(有害性)×(曝露量)

で測られる。つまり、有害性が非常に高くても、人々が被る量が微少であれば個人としてのリスクは小さい可能性がある(ex.ダイオキシン騒動)。逆に、有害性が低くても曝露量が多ければリスクが大きい可能性もある。

wskishimoto02(2)費用効果分析(Cost Effectiveness Analysis)と費用便益分析(Cost Benefit Analysis)

 前者は、「決められた予算内で最大の効果を得る」、「決められた効果を最小の費用で達成する」ことを主眼としており、
(費用)/(効果)

の値が小さいほど望ましい。小さいものからランク付けし、それに従い順次政策を行うことや、過去の政策の値よりも小さいことをもって政策の実施を正当化するなどの利用法がある。

 費用便益分析は、「純便益=便益?費用」を推定する。それが正ならば、その政策等は社会に利益をもたらすが、負ならば利益をもたらさない、という評価を行う。教科書では費用便益分析はきちんと説明されているが、費用効果分析に触れられることは少ない。しかし、現実の利用可能性の観点からは費用効果分析がもっと強調されるべきである。

(3)確率的生命価値(Value of Statistical Life:VSL)
  政策等により救命された効果を金銭価値化による便益の測定には、
便益=(救命人数)×(単価)

となるが、そこでその「単価」をどう金銭価値化が問題となる。ここで多くの人々にとって「単価」は「人の命の金銭価値化」と捉えられがちであり、誤解が度々生ずる。しかし、救命人数の値はあくまでも集計値であって、重要なのは、対策による便益の受け手である一人一人にとっての政策の効果は、政策によってどれだけ自分が死ぬリスクが減ったか、すなわち「死亡リスクの微小な削減」である。そこで、各人の、死亡リスクの微小な削減への支払意思額(Willingness to pay)を計測し、これらを合計すると便益額が得られる。VSLは、死亡リスクの微小な削減への支払意思額の平均値を、死亡リスクの微小な削減量で除することにより導出された便宜的な値であり、「人の命の価値」だという誤解を招かないように使い方に注意すべきである。

wskishimoto03 さらに、この支払意思額の計測する際には困難も多い。例えば「表明選好法」という死亡リスク削減に対する支払意思額を直接尋ねる方法での問題は、いきなり「この先1年間の死亡リスクを1/10、000だけ下げるためにいくら支払ってもよいか?」と聞いても、そもそも所得も年齢も違う各人にとっての死亡リスクは異なり、また1/10、000という小さな確率は把握しづらい。そこで実感してもらうために「満員の東京ドームの中の36席の空席」や「1年間のうちの105分」などと具体的に確率を数字で示して、アンケートの有効性を高めようとしている。

質疑応答

Q.アンケートによる異常値はどう扱っているのですか?

A. 一応分析対象からは外しますが、なぜそのような答えが出てしまったのかを考えます。例えば支払意思額に関する質問で、仮想的に答えてもらうとどうしても実感がなく非現実的な額を回答してしまいがちになるので、その額を支払ったら他の支出が減るということを念を押して確認するだとか、最初から具体的に数値を提示してyes or noで答えてもらうなど、様々な工夫が必要です。

wskishimoto04Q.そもそもリスクのある職業を選んでいる時点でリスクは既に内部化されているのだから、(概要では割愛させていただきましたが)被説明変数である労働者の賃金を、個人のリスクを説明変数の一つとして回帰分析することは、果たして妥当なのでしょうか?

A. 逆に内部化されていると仮定するからこそ、このような解析が可能なのです。ただし、現実には労働者が完全にそのリスクの性質・大きさを認識し、賃金に内部化されていると認識し、さらに賃金とリスクのレベルに応じて職業間移動が自由であるという仮定は、必ずしも成り立ちません。また、内部化されているとしても、それで良いかどうかは別問題です。プロボクサーや雪山登山のリスクは高いですが、彼らはリスクを認識しており内部化されているので問題ないと考えられています。しかし、貧困であるがために、高いリスクを認識しながら、高賃金であるためにやむを得ず働かざるを得ないという状況は内部化されているとしても問題があると考えてよいのではないでしょうか。