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公共経済政策ワークショップ

2005年12月15日

医薬経済学と規制科学

津谷 喜一郎(東京大学大学院薬学系研究科客員教授)

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1.はじめに

 本日はPharmacoeconomics and Regulatory Sciences(医薬経済学と規制科学)というテーマであるが、まず本題に入る前に、養命酒には2種類あることを知っているだろうか。これらの中身は全く同じものであるが、品質管理の基準によって食品と薬用に分かれており、薬用のみが滋養強壮などの効能をいうことができる。つまり薬用のみがヘルスクレーム(健康強示)をすることができるのである。また、食品としての養命酒は酒屋で、薬用としては薬局で売られており、前者の方がよく売れているものの、イメージとしては薬用の方が強い。

 それでは、薬が他の技術とは異なる点について述べる。まず1点目として、薬には前述のようにヘルスクレームがあり基本的に病気の人が用いる点がある。2点目としては、たとえ良い薬であってもそれを必要とする人には金銭的な余裕がない事があるという点である。そして3点目として、新たな薬はより高価になる傾向があるという点である。

2、HALEとTHE per capita

 次に、HALE(Health Adjusted Life Expectancy)とTHE(Total Expenditure of Health)per capitaの関係を見る。横軸に前者を、縦軸に後者をとるとその傾きは国のヘルスサービスの効率性を表している。なおHALEとは、健康状態を考慮した上での寿命の事で、例えば寿命が80歳の人が60歳の時にリウマチになり痛くて歩く事もできなくなったとする。この時生きている事の効用が0.7の割合だけマイナスになったとすると、リウマチを患っているのが20年間なので20×0.7=14年分だけ寿命がマイナスになると考え、HALEは80-14=66歳となる。OECDのデータを見ると、日本では一人当たり約2,000ドルかけて75歳まで生きるのに対し、アメリカでは日本の倍以上の一人当たり4,500ドルかけても70歳までしか生きられない。この違いから、日本の医療水準は悪くないといえよう。また、医療水準以外の要因としては薬に過度に依存しない事が挙げられる。アメリカは世界の医薬品マーケットのおよそ半分の医薬品を使用している。アメリカの人口の世界人口に対する割合を考えると、この値がいかに大きいかということが分かる。一方日本は、世界の医薬品マーケットの約12%の使用にとどまっており、これは薬価規制に見られるような薬に過度に依存しない体制が整っているためであろう。

 wstsutani02ところでどうして日本はHALEが高いのであろうか。寿司を食べる、みそ汁を食べるなどの食習慣の要因は大きい。また、ヘルスサービス・システムが整っていることも重要であろう。一方で、医療技術が適正に使用されていることが日本のHALEが高いことに寄与しているかどうかは疑問である。そこでpharmacoeconomics(医薬経済学)が必要となってくる。しかし注意しなければならないのは、日本における医薬経済学の役割が諸外国とは異なるという点である。つまり医薬経済学を用いた意思決定の主体が諸外国とは異なるということである。例えばイギリスでは国家機関がその主体を担っているのに対し、アメリカではマネージド・ケアとも称される民間の保険会社が主体となる。日本は制度がまだ不十分で主体は不明確である。日本には現在およそ18,000品目の薬があるが、そのうち約200で保険がきかない。保険のきかない薬として有名なものとしては例えばニコチン・パッチがある。

 ここでタバコの話を少しすると、タバコのコストは7兆円であり、そのうち5兆円が間接コストで、残りの2兆円が直接コストである。間接コストとはお金の動かないコストであり、早死にすることによる所得の機会損失などが挙げられる。また、直接コストとはお金の動くコストであり、肺がんになったときの治療費や火事になったときの消火にかかるコストなどがある。なお、医薬経済学や医療経済学と経済学とでは間接・直接コストの使われ方が異なる点に注意されたい。

wstsutani033、evidenceの重要性

80年代にWHOで伝統医学担当医官として働いていたときに、“Don’t you believe it? (お前はそれを信じているのか?)”とよくいわれて困ったことがあった。しかしこれは「信じる、信じない」ということではなく、evidenceがあるのかどうかということだった。以下ではそのevidenceについての話をする。

 オーストラリアにおける急性心筋梗塞に対する血栓溶解剤の例を用いたmarginal analysisより、効き目ではTPAという薬が一番効くが、予算制約を設けるとコストの低いStreptokinaseという薬を用いた方が多くの人の命を救えることが分かった。これが「効率」(efficiency)であり、「効果」(effectiveness)とは異なるものである。つまり、マスを考えた時と目の前の患者を考えたときの間にジレンマが発生するのである。この時、誰が意思決定をするのか、そして資源が限られているときにどのようにそれを割り当てるのか、という問題が生じる。しかし、割り当てるということはどこかで切らなくてはならないことを意味するので、誰もやりたがらないのが現実である。なお注意しなければならないのは、この議論が成立するためにはusual care、Streptokinase、TPAの3つの選択のコストとoutcomeがきちんと比較できることが必要である。

 この例より、EBM(Evidence-based medicine)とEBH(Evidence-based health care)という2つの概念が分かる。前者は対患者に用いられ、効果を重視する。一方で後者は対マスに用いられ、効率性の考え方に基づく。効果と効率は異なるということを改めて言っておきたい。

EBMの3人の父のうちの1人、Archibald CochraneはEBMに関して3つの重要なことをいった。(1)All effective treatment must be free、(2)RTCの重要性、(3)Systematic Reviewの重要性である。このうち以下では(2)についてやや詳しく説明する。

RCTとは、ランダム化比較試験(randomized controlled trial)のことである。臨床試験を行うときはpopulation(母集団)からsampleをrandom samplingによって抜き出し、さらにrandom allocation(ランダム割りふり)によって2つのグループに分ける。このうち一方には新しい薬を、他方には古い薬を与え効果を統計的に分析する。そしてその分析結果をまとめて母集団に還元する。この臨床試験のプロセスのうち、random allocationのステージがRCTに当てはまる。新しい薬のほうに症状の軽い人が、古い薬のほうに症状の重い人が集まると、見かけ上新しい薬が効いたように見えるが、それは背景因子のせいとなる。この場合、病気の重さがconfounder(交絡因子)となっている。RCTはこのconfounderを減少させるものである。なお、臨床試験の目的はあくまでも母集団である将来の患者を治すことであり、サンプルである試験参加者を治療することではない点にも注意を払っておかなければならなく、またこのことについてサンプルからインフォームド・コンセントを得ておくことが必要となる。

 薬学の分野によらず臨床実験によるevidenceに基づいて社会的施策を行う土壌は日本にはまだ十分にはない。しかし、だからといって外国の臨床実験の結果をそのまま日本で使う訳にはいかない。公平性に反するからである。つまり、実験によって負担を強いられる人と利益を受ける人が異なってしまうのである。

wstsutani044、Publication bias

最後に、publication biasという問題について説明する。これは、よい実験結果が得られた論文しか公表されないということである。鍼に関する公表された論文のうち実験がうまくいったものの割合は、中国で99%、イギリスで75%、日本で89%にものぼる。このようなバイアスがあると意思決定が歪んでしまう恐れがある。そこで最近では、臨床実験の登録・公開システムが整備されている。なお、このシステムが整備された理由としてはこのpublication biasのほかにも、倫理の観点からの要請と、実験の参加者を募集するためという側面がある。

このうち倫理とは利他主義のことである。すなわち臨床実験の参加者は公衆を構成する一員であり、そこで得られたevidenceは参加者が構成員である公衆に還元されるべきである。よってこの利他的な行為によって得られた実験結果は公共財ということができる。