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公共経済政策ワークショップ

2006年10月19日

『ロシアの公共政策の決定過程の特徴』

ストレリツオフ・ドミトリー氏 (在日ロシア連邦通商代表部 主任エキスパート・歴史学博士)

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 1.ロシアの政策決定の特徴

 日本の議院内閣制に対して、ロシアは大統領制のシステムであり、特に執行部門にパワーバランスが傾いている。 例えば日本では、首相が大臣の頭越しに各省に指示することはないが、ロシア大統領はそれができる。また、 行政に関わる法律基盤においては、大統領の権限の裏づけに不備がある。大統領府は事実上最も強い組織であるが、 法律に根拠となる規定がない。さらに、圧力グループ・派閥・利益集団といったインフォーマルな集団が大きな地位を占め、 各集団間の政策調整は国会などの開かれた場ではなく闇のゾーンで行われており、市民の目に見えない不透明なものとなっている。 ロシアにおいて議会制民主主義の伝統は浅く、立法、司法は事実上行政に従属しており、君主制に近い大統領制と言えるだろう。
 また、政党の政策決定過程への影響も限定的である。各省庁のステータスは非常に複雑で、大統領直属の省もあれば首相直属の 省もあり、二重構造を持っている。これは改革の一つの課題である。また、政策決定過程の特徴としては、大統領の個性や人脈 といった属人的要因の影響の強さ、合議制を欠いた少数グループによる強権的特徴が目立っている。さらに、大統領下の 総合調整機関が欠如しており、分散した構造下でケース・バイ・ケースの政策決定が行われている。学術団体・NGO・政党・ 市民団体といった市民社会による影響も限られている。

2.ロシアの公務員制度

wsdomi02  ロシアの国家・地方公務員数は国際的に比較して絶対数ではそれほど多くないように見えるが、 特に2000年以降は早いペースで膨張している。公務員は国防・安全保障を含めて350万人いるが、 国家予算財源の4割を占めるエネルギー産業従事者が100万人であることを考えると、多いのではないか。 日本では佐藤内閣時の国家公務員法によって制限が加えられたが、ロシアでは財源がある限り公務員制が 無制限に膨張する可能性がある。2007年予算では、国家行政の予算額は教育予算の3倍である。また、 2000年には原油世界価格の1バレル当たり1ドルの増加がGDPの0.2%増をもたらしたのに対して、 2005年にはこれが0.06%となったなど、行政の非効率が高まり、マクロ経済にも悪影響を与えて いるのではとの批判がある。また、行政による余計な指示・命令・規制も問題である。規制は流動的・ 不安定で、例えば税制などは四半期ごとに変動し長期的プロジェクト投資に悪影響を与えている。 政治システムにおける官僚の力は強く、中央政府・地方政府・選出された行政単位首長など、 「官僚」色の濃い階級では政治エリートの7〜9割を官僚出身者が占める。官僚の構造を見るとソ 連時代の保守的考え・国家規制重視的考え方の者が多く、特に地方レベルではソ連共産党組織から そのまま移行しているのでその影響が強い。また、東欧のような治安当局出身者による公職就任禁 止令は成立しておらず、「シロビキ」と言われる軍部・旧KGBといった武力構造出身者が目立っている。 軍が削減された分、行政に移ってきた形だ。特にプーチン大統領のブレーンチームでは「シロビキ」の占める率が58%と高い。 また、電力・自動車道路・鉄道などの自然独占的産業での国営企業が強くなっており、 そこではシロビキが主要な地位を占めている。しかし彼らは等級体制に慣れており、マネージャーとしての能力、 フレキシブルな能力を期待できないとの声もある。

3.汚職問題

 ロシアにおける汚職は、旧西側諸国から見ると馴染みのない形となっている。汚職は草の根レベル・ 日常生活のレベルから感謝・お礼を含めて行われているものであり、それが道徳的にも認められている。 法律・禁止令はたくさんあっても、何かあれば金銭で解決ということになり、結果として経済・社会が隠蔽化されてしまう。隠匿化経済では統計が取られても実情を反映しているとは言えない。公務員の職も売買対象になっているし、中小企業の国家当局への贈賄額が年商の10〜15%に当たるとの統計もある。行政との癒着がなければビジネスが進まない状況で、 実業界と行政との境目は極めて不明瞭である。「Transparency International」による「汚職指数」でロシアは世界ランキング の87位であり、また世界経済フォーラムによるとロシアの裁判制度の独立性は110位とのデータもある。

4.行政改革

 1990年代から、いくつかの行政改革の試みがあった。一番大きいのが1995年の公務員制への等級制導入であり、これは比較的成功して国家公務員のステータスも安定した。2000年頃からは、国家と経済の関係がポイントになり、行政スリム化・規制緩和・行政サービスwsdomi03基準化などNPM(New Public Management)構想に基づく小さな政府への方向性が目指された。最近の改革は2004年に行われたが、結果としてこれは失敗したと言われている。行政機関はむしろ増大・膨張し、政府の内閣官房に当たる閣僚会議組織を小さくしたために調整能力が下がってしまった。省庁レベルへ権限が下ろされ、新たなセクショナリズムの懸念がある。2006−07年には、行政サービスの民間への移行、法律改正、行政と民間の関係を定める行政執行規定の策定、市民と行政との関係改善を図る改革等が試みられているが、行政膨張防止のメカニズムはうまくいっていない。このような行政の肥大化の背景には、2004年以降のオイルマネー増大により政府の歳入が増えた結果、政府が国家資本主義(戦略的産業を国家主導で発展させる戦略)を進めようとしていることにある。

5.社会福祉政策

 ロシア政府は、ソ連時代から社会主義的・社会福祉的な行政機能が強く、ここは中国との際立った違いである。 今も、誰でも医療サービスへのアクセスや年金受給ができ、これを国家が担っているものの、その役割は次第に空洞化している。 福祉政策の担い手は国家から民間に移行する方向にあり、またその対象は経済的に恵まれた人に向けられつつある。教育・医療・ 年金の各分野でこの傾向があり、エリート向けと庶民向けのサービスの分化が進んでいる。医療においては専門医へのアクセス 低下等の問題があり、また教育ではエリート大学への優遇が行われている。また、ソ連時代に比べて格差問題が話題になっている。 こうした格差には反発があり、社会不安になりうるだろう。貧困対策は政府課題の一つに挙げられているが、現実には問題は強 まっている。

6.質疑応答

Q1 .(社会経済の隠匿化といった)闇の広がりを止めるような要素はあるのか?

A1. 現在の公務員膨張の背景にはオイルマネーがある。このようにエネルギー資源により国庫が潤う状況が続けば、 この体制も続くだろう。オイルマネーという資源により、行政は自身で新たな国家プロジェクトを提唱・実施している。しかし、好況がおさまれば浪費的政策もやがて縮小するのではないか。2000年頃には現在ほどの汚職はなかったし、 一生懸命政府のスリム化を進めていた。

Q2. 汚職が多いというお話を伺ったが、ロシアではギリシア正教が主に信仰されていると聞いている。 汚職や賄賂の授受といった問題は、宗教によって解決されないのか?

A2. 日常的に金銭で問題が解決されるからといって、ロシアにおける倫理観が他の国と異なっているというわけではない。 もちろん、ロシア人は、宗教を含む倫理の観点から、金銭の授受が悪であることを認識している。それにも関わらず、社会の 実情として、ロシアにおいては金銭により日常生活の問題がよく解決される。金銭での問題解決は、倫理というよりは慣習の 問題なのかもしれない。簡単に答えるのは難しい質問だ。

domi04Q3. 議会が弱いとのことだが 、確かにプーチン大統領になってから民主主義が弱まっているとの批判をよく耳にする。議会による大統領のチェック機能は 存在しないのか?

A3. 憲法上、三分の二の多数決による大統領の不信任制が存在するが、1度も行使されたことはない。 政府はほとんどテレビ局を牛耳っており、テレビを通して選挙民をコントロールするという状況もある。 議会においては「統一ロシア」が多数を占め、大統領の意向に事実上反対できないのが実情だ。

Q4. オイル政策に関して、ロシアはオイルの利権を国内で囲い込もうとしているのか、それとも外国と 協調して採掘しようとしているのか?

A4. 戦略的と思われる産業については国内で全部コントロールしていくのが国家戦略になっている。 ガス田・油田は国内業者の所有にし、外資は技術協力が中心である。個人的には、外国の協力なくしては ハイテク技術を導入できないので、外資は容認すべきと考えている。しかし、しばらくは外資を中心的に 参入させることはないだろう。

Q5. 軍組織はどういう形で政策決定に影響を及ぼしているのか? また、軍から大統領に対して何らかの 脅威・圧力をかけることはありえるのか?

A5. 国防大臣による報告や、安全保障会議を通して大統領に影響を発揮する形となっている。また、 シロビキのように退役軍人も母体組織の利益を代表して、大統領府で力をもっている。例えば(大統領府副長官の) セーチンなどは、KGB出身で武力構造にコネがあり、その声を直接伝えたりしている。また、軍から大統領への圧力というのはありえるが、インフォーマルな形の中で重要な決定がなされているなかで、 そのプロセスは極めて不透明である。