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公共経済政策ワークショップ

2006年11月9日

『日米安保と日本の防衛政策』

梅本和義氏 (外務省北米局審議官)

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1.安全保障政策を考える前提

 安全保障政策を考えるにあたっては、国際社会の構造は本質的に国内社会とは異なるということに注意しなければならない。国内であれば「実力」を集中した中央政府が治安維持、法執行を通じて秩序を保つ構造になっている。しかし、国際社会にはそのような中央政府はなく、「実力」を持つ主権国家から構成されている。国際連合の集団安全保障システムは、一応形としては「実力」をプールしていることになっているが、現実はそこまで有効に機能していない。

2.国家の安全確保とは

そこで安全保障政策というものがどの主権国家にとっても大切となる。国の安全確保を考えるにあたっては、総合的国力(経済、科学技術等)や国家戦略が背景にあるのはもちろんだが、より直接的には外交・軍事・情報分析が鍵を握る。ここで注意しなければならないのは、クラウゼヴィッツや孫子も言うように、外交と軍事は密接不可分であるということである。しかし、日本の防衛政策においては、えてしてこの二つの整合性がなく議論されがち(例えば、「防衛費は減らせ、外交は強硬策で行け」、等)である。まず、国家の安全確保を考えるにあたっては、外交と軍事とは密接に関わるという事実を念頭に置かなければならない。

 防衛政策の本質は、情勢判断、適切な防衛態勢の整備、脅威の未然防止(外交・国際平和協力等)にある。特に「防衛体制の整備」については、軍事力の規模、内容、配置といったハードウェアの整備を思い浮かべやすいが、軍事力の運用というソフトウェアの整備の面もあることに留意すべし。適切な防衛構想の下に計画を立案し、訓練を行うことがなければ、持てる軍事力も円滑に運用することが出来ず、いざという時に脅威から身を守ることは出来ないのである。

3.日本の選択

wsumemoto02 日本の安全を守るためには、理論的には非武装中立、武装中立、集団安全保障、日米同盟等の選択肢が有り得る。ここで日本がとった選択は、自由と民主主義を基調とする米国との同盟、及び自制された節度ある防衛力による専守防衛であった。我が国の安全保障政策は、例えば、1956年5月20日閣議決定「国防の基本方針」に端的に示されており、今日までこの基本は維持されてきている。

 日米同盟については、御存知のように、その中核は日米安全保障条約である。これは非常に短い条約であるので、一度通読されることをお薦めする。中核は米国による対日防衛義務を定めた第5条、及び米軍による我が国の施設・区域使用について定めた第6条である。

 特に第6条は、我が国の安全及び極東の平和・安全の維持に寄与すること基地使用の目的として定めており、「極東条項」と呼ばれる。どの国だって自国の平和を守るにあたって本土決戦というような「ホームゲーム」はしたくないのであって、我が国も明治以来、極東地域の平和と安全を自身の安全の観点から重視してきた。もちろん今においても極東地域が安全であることは極めて重要であり、日本の安全に直結する問題である。しかしこういった基本的なことについての理解が得られないために、長らくあたかも我が国の国益とは関係のない極東の平和のために米軍が在日基地を使うことは大きな「持ち出し」であるかのごとき議論が行われ、そのようなコンテクストで「極東」の範囲はどこか、いかに米軍の行動を制約すべきか、というような議論もずっと国会でなされてきたのが実情である。

4.これまでの日本の安全保障政策の変化

 55年体制においては、自民党・社会党はイデオロギー的に対立しており、安保・防衛論争といえば、もっぱら法的解釈を中心とした「神学論争」のような議論が展開された。安全保障政策について本質的な議論がなされず、ともすればタブー視されてきた原因には、日本特有の政治状況がある。その背景には、国民の間にも、戦前のレジーム、軍事に対する強い不信感があった。また与党内にも戦争経験のある議員が多数おり、軍事組織にたいするある種の猜疑心があった。また、唯一の被爆国として、核兵器に対する特殊な感情が国民の間に存在した。

wsumemoto03それゆえ、米国と同盟関係にあるにもかかわらず、我が国には根強い中立志向があった。非核三原則・武器輸出三原則、有事法制の不備、自衛隊・米軍の運用面での協力の未整備も、こうした背景の下に生まれたと言える。非核三原則については国民に多くの支持を得ており、今や日本の「国是」に近い原則とされているが、これは、必ずしも安全保障上の議論(どのような脅威に対してどのように対応するか)の末に出てきたものではないことには注意を要する。武器輸出三原則も当初の原則が国会答弁などを通じどんどん「中立志向」的なものとなってしまった。有事法制についても、これが定められていなければ有事の際に超法規的な対応をせざるをえなくなり、却ってシビリアン・コントロールの観点から問題がある。自衛隊・米軍の協力関係についても事前に定めておかねば、いざというときにスムーズに動くことはできない。これらの日米同盟を実質化させる事項についても、日本特有の政治状況から、近年まできちんと議論されてこなかった。

 こうした傾向は70年代後半から80年代にかけ、冷戦が再び激化したことによって変わり始める。防衛計画の大綱、日米防衛協力の指針等の基礎の上に、共同作戦計画研究が開始され、自衛隊・米軍間の各種共同訓練が本格的に実施されるようになった。さらに中曽根内閣は日米同盟関係を重視し、対米武器技術供与決定、シーレーン防衛の推進、防衛費対GNP1%枠廃止、HNS特別協定による米軍駐留経費負担開始が行われた。

 さらに冷戦後には、湾岸戦争や北朝鮮核問題危機を経て、日米防衛協力のための指針、有事法制の整備、防衛計画の大綱の策定など、安全保障をめぐる法制の整備が行われた。またテロ特措法やイラク特措法のように、国際社会の平和と安定へ寄与するための法律も生まれた。ここにきてようやく、我が国における防衛・危機管理・国際貢献に対する意識も向上してきたと言える。

5.今後の安全保障政策

日米安全保障条約というものは、法的には1951年に出来ていたものである。それが半世紀以上かかって、今ようやく実のあるものとなり始めた。逆に言えば、まだまだこれから作っていかなければならないことは多い。特に「どういう意図・能力を持った主体がどのように我が国の安全を脅かすのか、それに対して我が国はどう対応すべきか、どのような環境整備を行うべきか」といった安全保障に関する本質的な議論がまだまだ不十分である。
wsumemoto04  つい10年程前まで、全国のバスの停留所については運輸省が決める一方、米軍基地の土地の収用は地方が決めるという、国家安全保障の観点からすれば非常にいびつな構造が存在していた。今もまた、自衛隊が国際貢献をするにあたって武器使用の基準は今のままでいいのか、一般的な安全保障法を作る必要があるのではないか、米軍再編を踏まえ日米間の役割分担はどのように定めるべきか等々、議論しなければならないことはたくさんある。
 最後になるが、防衛政策を考えるにあたっては様々なプレーヤーが存在することに注意しなければならない。日本の国会、国民世論・マスコミ、地方自治体はもちろん主要プレーヤーとなるが、相手方政府の背後にも世論・マスコミ、米議会が存在する。それぞれのプレーヤーの動向を見極めながら、我が国の安全保障にとって最も適切な政策を策定していくことが、今後の政策決定者には求められるだろう。

質疑・応答

Q1.日米再編や防衛省昇格など、自衛隊の役割は今後増していくと考えられるが、安全保障問題における外務省と防衛庁の役割は今後どのように変わっていくか?

A1.最初に申し上げた通り、外交と軍事は切っても切り離せない、密接不可分のものだ。どちらが主導権を握るかという問題ではなく、一緒にやっていくという意識が大切であり、実際の現場もそのような意識でやっている。これは防衛庁が省に昇格しても変わらないだろう。

 また安全保障は他の内政分野にも関わるということに注意を払う必要がある。例えば軍用機の飛行との関係では空域を管理する国土交通省、艦船の航行との関係では海域を管理する海上保安庁や水産庁、電波であれば総務省というように、様々な省庁と政策の折り合いをつけなければならない。国益の観点からそれらを総合調整する上で官邸の役割は大きい。

Q2.日本は相対的に軍事力を米国に頼っている状況にあるが、現在の状況に照らして防衛力のアップは難しいのではないか。

A2. 同盟関係において、相手国と軍事的に完全に対等である必要は必ずしもないと考える。そもそも米国に匹敵する軍事大国は、世界のどこにも存在しない。まずは安全保障問題において意識を共有し、お互いの意見をちゃんと言い合える関係を作っていくことが大切だ。また軍事的に対等になりえなくとも、出来る範囲の努力は怠らず、いざという時に兵力や基地をスムーズに運用できるような協力関係を築き上げておくことができれば、今よりも日米同盟の強化させることは出来るだろう。