第65回公共政策セミナー

「国家行政と公務員制度改革」

江利川 毅氏(人事院総裁)

公務員を志望する学生や、関心のある学生に、公務員制度改革の意味するところや、先輩の立場から公務員としての責任や心構えなどについてお話いただきます。

日 時 :2011年10月13日(木) 18:40~20:20
会 場 :東京大学本郷キャンパス 法学政治学系総合教育棟 101号室
司 会 :小野 太一(公共政策大学院教授)

10月13日(木)法学政治学系総合教育棟101号室において、江利川毅氏(人事院総裁)による第65回公共政策セミナー「国家行政と公務員制度改革」が開催されました。

講演概要

0. はじめに

この場には公務員を目指している方も多いかと思いますので、本日は国家行政が現実にどういう仕組みになっているのかということと、その中で働く公務員についてどのようなことが期待されるのかということを中心にお話いたします。

国家とは

昔、国には「國」という漢字を書いていたのですが、この「國」の国構えの中にある「口」の部分は、人口、すなわち領民を表しており、その下の一本線は領土を表しています。その領民と領土を「戈」で守る、それが「國」という漢字の成り立ちです。今日では、当然、武力が前面に出るというわけではありません。国家統治機能、これによって国家は国民を守るのです。国家統治機能は、今は三権分立。立法・司法・行政によって国民と領土を守る、それが統治機能の役割であります。その中で行政が果たしている役割は、制度・政策の実施運用によって国民と領土を守るということ、それが行政の役割です。国家公務員は行政を実施する担当者であり、国家国民のために施策を推進する担当者であります。

1. 国家行政と国家公務員

国家行政の現状について説明します。憲法第15条1項で「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定められています。国民固有の権利といいますが、国民が国家公務員を直接採用しているわけではありません。国民は、国民の代表者として国会議員を選挙で選ぶ。その国会議員が国会で内閣総理大臣を指名する。そしてその総理大臣が閣僚を任命する。その総理大臣と各省大臣が、公務員の使用者になるという仕組みで、国民が間接的に選任しているともいえます。総理大臣と閣僚で構成する内閣の下で公務員は働くことになります。行政は、総理・閣僚と公務員が一体となって実施されています。

次に、国家行政の主体たる内閣は国会のコントロールを受ける、ということについてお話しします。憲法第41条「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」、第65条「行政権は、内閣に属する」、第67条1項「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」、第73条「内閣は法律を誠実に執行し・・・」「法律の定める基準に従い、官吏に関する事務を掌理する」、第83条「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」と、憲法に規定されています。内閣は、国会の定めた法律を執行し、国会の議決した予算を実施します。国会の議決を経なければ、執行できないことがたくさんあり、その意味で内閣は国会のコントロールを受けるという位置に立ちます。

公務員に関しては、憲法第15条1項で、公務員の究極の使用者は国民であると規定されています。先ほど述べましたように、実際の使用者は国会で指名された内閣総理大臣と総理大臣が任命した各大臣でありまして、間接的に国民が公務員を採用するという形になっています。また、憲法第15条2項では「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」となっています。公務員は全体の奉仕者として、中立公正に仕事をすることが求められます。

閣僚は国民の代表として、国家公務員は全体の奉仕者として、ともに国家・国民のために働くのですから、両者は協働で、「車の両輪」のような形で仕事をするということになります。民意を受けて、民意を実施するのが内閣、公務員はその分野の専門家として、その専門知識、過去の経験やデータを駆使して、政策がより適切に為されるよう政策を提案し、内閣で決定した政策を執行するという関係で、その意味で両者は、国政を実施する「車の両輪」であると言えます。

公務員の労働基本権と人事院の役割

労働者には憲法第28条の労働三権があり、公務員も働く人だから労働基本権は認められますが、全体の奉仕者・公共の福祉・公務員の職務の性質という観点から労働基本権のうち協約締結権・争議権が制限されています。権利が制約されていると、使用者である大臣と労使交渉が対等に行われないことになるので、労働基本権制約の代償機能が必要であって、それを担うのが人事院です。

人事院は、国家公務員法に基づき民間給与の実態調査をして、公務員の給与が幾らであるべきか、勤務条件はどうあるべきか、ということについて内閣・国会に対して勧告を行う責務を負っています。人事院があることによって、労働基本権を制約された公務員は、代償機能がしかるべき機能を果たすことで、安心して仕事ができるという仕組みになっています。

公務員の労使関係の特徴についてお話しします。内閣総理大臣・各大臣は法律や予算の枠内で、使用者としての責務を果たします。憲法第73条により、公務員に関する事務は法律によって行うということになっています。給与も予算が議決されないと執行されません。内閣が法律・予算の両面から国会のコントロールを受けるということは、民主国家ですから当然のことであります。つまり、勤務条件は大臣の決定だけでは決まりません。国会で議決されて初めて実施されるので、大臣は自ら全てを決定できる完全な使用者に成り得ないのです。使用者の権能が制限されているということになります。

公務員は労働基本権が制約されており、制約の代償機能を担う人事院が存在する、なぜそうなっているのでしょうか。

それは、公務員は国民全体の奉仕者で、民間の労働者とは異なる職務遂行上の責任をもっているからです。国民からは、税金から給与をもらっている公務員は国家国民のために仕事してもらいたいと期待されている、公務員はそういう仕事をしています。公務員には、民間企業の労働者とは異なる責任や、国民からの期待、要請があるので、労働基本権が制約されているのです。

また、民間企業だったら黒字が出れば特別賞与で上乗せ、好業績が続きそうなら昇給となりますが、公務員は国家財政が黒字であっても給与に黒字を上乗せされることはありません。黒字は納税者に還元されます。公務員給与については、国家には利益という概念がそもそもないから、利益分配という考え方がないのです。また、民間企業では、経営状態と関係なく賃上げ要求すると、いつか倒産するかも知れないから、労働者側にも一種の抑制機能が働きます。この市場機能というものが、民間の労使関係には働くが、国家には倒産が無いので、市場の抑制力が働きません。これらをみても、公務員と民間とでは同じ労使関係は成り立ちません。現在は、権利を一部制限して、人事院が勧告等でその代償機能としての役割を果たしています。

人事院の役割は、ひとつは先程まで述べてきた労働基本権制約の代償機能があります。もう一つは国家公務員の人事の公正の確保です。例えば、能力主義・成績主義で人事をやること。仮の話として、大臣の縁故者を雇うという人事や、大臣の地元に貢献したから昇進させるとか、そういう公務員の公正中立・全体の奉仕者としての立場をねじ曲げるようなことは、あってはなりません。人事院は、ねじ曲がったことが起きないよう人事の公正を確保する。あと国家公務員試験の実施、研修、不利益処分の不服救済や公務員倫理に関する任務を担当しています。公務員の人事行政を安定的に運営することによって、国家公務員が安心して働けるようになります。人事院があることによって、しかるべき給与はもらえる、不利益なことは受けない、頑張れば能力主義で評価されるということがわかり、国家公務員は安心して仕事が出来るという仕組みになっているのです。

2. 行政改革の推進

いまお話した公務員制度を含めて、行政改革が必要とされております。

改革が必要とされる理由

いま、なぜ行政改革が必要とされるか。その理由の一つとして、1990年以降、景気が低迷し、財政が悪化しているなかで、国政上の諸課題への対応が不十分であると言われていることが挙げられます。たとえば、経済成長、雇用の確保、財政の健全化、資源・エネルギー、高齢化と少子化、環境問題・地球温暖化、安全の確保などの課題への対応が不十分とされている。いつまでも解決できないのは、行政の仕組みに何か改善すべき点があるのではないか、ということです。

第二に、「官」における信用の失墜があります。最近でも、管制官の資料流出や、尖閣諸島の漁船衝突の映像流出、大阪高検の不祥事、公務員のインサイダー取引が疑われる事件などがありましたが、10年くらい前には接待疑惑などの不祥事も大きく報道されました。さらに、これらとは別に、食品安全問題や、年金記録問題など、適正に行われているのか疑問を持たれる事例もあります。こうした様々なレベルの問題から、「官」の信用が失墜しており、その回復が必要とされています。

第三に、「政」と「官」の関係のあり方という論点があります。政治家と官僚の関係のあり方というものについても、それぞれの持つ役割と特質について理解したうえで、協力関係で事を進めるのが一番よいのですが、それが構築できておりません。この点でも何らかの改革が必要なのではないかといわれております。

課題解決のためには何が必要か

それでは、課題解決のためには何が必要かといいますと、一つは、政策判断についてのリーダーシップです。

必要な政策課題を遂行するためには財源が必要ですが、ここ十数年、低成長、マイナス成長のため、歳入は減少傾向にあります。成長があるときは拡大したパイの分配となるので、調整はそんなに大変ではなかったのですが、今は、ある政策をやろうとするとどこかから財源をはがしてこないといけない。つまり、何らかの政策を止める必要があるため、賛成反対の様々な議論がでてくるわけです。また、財源が限られていることから、新しい政策をやろうとしても中途半端というか、目指すところにとどかないようなものになってしまいがちです。こういうなかでメリハリをつけて施策を実施していくためには、従前と比べてはるかに大きなリーダーシップが求められます。どうしても必要な政策がたくさんあるというのであれば、現在の財政状況からすれば、増税は避けられません。しかし、増税をした与党は、これまでも常に選挙で敗北してきている。これが怖いために、政治が決断できない。このような状況がここ十数年ほど続いています。いまの政治にはリーダーシップ、説明能力、そして実行能力が必要とされているのです。

二つ目に、実施されるのはいい政策である必要がありますので、政策内容・判断を支える専門家からの提言が必要です。政治家が決断・実行すべきは「良い」政策でありますが、政治家だけでこれを作るには無理があります。各界から英知を集める必要があります。しかし、いまは英知を集めるための仕組みが十分に機能していません。

三つ目は、信頼の回復です。不祥事ですとか、公務員倫理の問題ですとか、天下りであるとか、様々な問題がありますが、政策をやろうとするときに国民の信頼がなくては実行していくことができません。論語のなかに、「民は之れに由らしむ可し。之れを知らしむ可からず」という言葉があります。これは、為政者に依存させ、民に知らせないのだ、という意味ではありません。そうではなくて、「可し」は可能の意味であり、この人がやるのなら信頼できるかなと思ってもらうことはできる。しかし、政策の中身を完全に理解してもらうことはなかなかできない、という意味なのです。為政者たるもの信頼されることが重要です。今はこの信頼が必ずしも十分に得られておりません。

中央省庁の再編(13年1月6日)

私は、省庁再編の際に総理官邸におり、橋本・小渕・森総理の下で仕事をしていました。橋本総理のときに検討がはじまり、森総理のときに再編がスタートしました。その際の基本的な問題意識としては、官邸・内閣の機能を強化し、決断力と実行力を高める、ということがありました。そのため、内閣機能強化の一環として、特命事項担当大臣が作られ、総理大臣のリーダーシップ強化のために総理大臣補佐官がおかれました。また、内閣と内閣総理大臣に対する補佐・支援体制の強化のために、内閣官房が強化され、内閣府が新たに創設されました。この時つくられた経済財政諮問会議・総合科学技術会議等というのは、まさに各界の英知を集め、決断、実行するための仕組みでした。

国家公務員制度の改革

中央省庁再編が「器」の改革であるのに対して、国家公務員制度の改革は「中身」、つまり人の改革です。なお、我が国は、諸外国に比して、職員数のスリム化は進んでおります。

国家行政とは、国民生活の安全・安定の確保と福祉の推進を図るものであり、また、国民生活を支える社会システムを設計・運営するものであります。こうした行政に携わる国家公務員には、高い使命感と高い能力が求められることは言うまでもありません。こういう人をどう採用し、どう活かしていくか。また、様々な問題に対する組織的な解決力をどう高めていくかという点が、改革の中身に関係してきます。

平成20年6月に施行された国家公務員制度改革基本法のなかで、国家戦略スタッフと政務スタッフ、幹部職員の一元管理などの解決すべき課題が列挙されております。これを具体的にどう実施するかについては、その後の検討や法律改正に待つという形になっています。これを踏まえて、平成23年6月に、国家公務員制度改革関連法案の国会提出がなされました。この法案には、基本法で掲げられた課題について、具体的な対応が示されています。概要だけ述べますと、(1)国家公務員に労働基本権(協約締結権を認め、争議権は検討課題)を認め、給与等は労使交渉で決める、(2)国家公務員の幹部人事は内閣官房で一元管理する、(3)人事院を廃止し、公務員庁、人事公正委員会、内閣人事局を設置する、というものです。

このような改革の中身については、本当に英知が結集されているのかという点で疑問を持っている部分もあります。ストや労使交渉よりも本来の業務に時間を費やすことが憲法体系の期待するところではないでしょうか、とも思っております。

改革については議論を尽くす必要がある

今年と昨年の人事院勧告・報告や人事院白書の特集でも言っているのですが、国家公務員制度は国家行政の基盤ですから、その改革となれば国民生活も含め影響は非常に大きいと言えます。皆さんが生まれる前、JRが国鉄だったときには、遵法闘争といって、切符を丁寧に切るとか、安全を確認してからドアを閉めるとかの、ルールを丁寧すぎるぐらい守るという闘争がありました。こういうのは結局、運行ダイヤが乱れるとか国民にしわよせがいきます。公務員制度改革も、国民生活への影響は大丈夫なのかという点はよく詰める必要があります。どんな改革にもプラスもマイナスも両方あります。両方をよく見ながら、何が良いのか考えなければなりません。はじめの方でも述べたように、使用者たる大臣は国会のコントロールを受け、公務員は国民全体のために働かなくてはなりませんので、労使関係は民間のようにはいきません。こうした特徴を踏まえて、検討しなくてはならないだろうと思います。

もう一つ、これはなかなか言いがたいところがありますが、公務員の使命感、責任感、職業倫理観への影響という点も考えなければなりません。かつては先生といえば聖職でした。私が小学生時代の先生には、大事な仕事であるという自負心と責任感があったと思います。それが、「教員も労働者である」というように聖職としての部分を落としてしまいますと、仕事に対する情熱や責任感が変わってしまうのではないでしょうか。同じように、公務員も労使交渉という形をとるようになったときに、「全体の奉仕者であるから、仕事優先で残業も休日出勤も厭わずにやる」というようなモチベーションや使命感、矜持のようなものが、果たして維持できるのでしょうか。そういった疑念もあります。こうした点についても、国会で審議を尽くしてもらいたいと思っています。

3. 国家公務員はどうあるべきか~国家公務員を目指す人たちへ~

公務員にとって大事なこと

公務員について定めた憲法第15条の精神を踏まえますと、公務員にとって大事なことは、まず、中立かつ公正な業務の執行であるといえます。バランス感覚と正義感です。それは義と恕であるとも言えます。恕はおもいやりであって、政策の最終的な影響を受ける国民の立場になって考えるということです。

大事なことの二番目は、国家国民のためにベストな施策の提案・実施を心がけることです。公務員になると様々な分野を担当していきますが、ひとつひとつ、過去の実績、現在の問題を調べ、学んでいかなければなりません。では、何を学んだらいいかということですが、第一には、専門を学び、その分野の第一人者になる必要があります。しかし、それだけでなく、第二に、社会や歴史を通じて広い視野を持ち、先人の知恵や苦労を学ぶことも必要です。そして、それを自分の糧にしなければなりません。それから第三に、人間について学び、知識だけでなく、経験と見識を得ていくこと。単なる見識だけではなく、実行力・決断力を伴った見識が必要です。「胆識」という言葉を本で知りましたが、つまり、腹の据わった知識が必要なのです。大事なのは仕事を最後までやり遂げるという意識です。三人寄れば文殊の知恵と言いますが、ベストの政策を考えるためには、他者から英知を集めることも必要です。万能な者はいない。能力が高い者は傲慢になりがちですが、それでは情報が集まらない。謙虚に、忍耐力をもって聞くという姿勢が必要です。他人の話を絶ってしまえば、知る機会を逸してしまうかも知れません。

国家公務員にとって大事なことの三番目は、国民からの信頼です。論語に「信無くんば立たず」とあります。国を治めるために必要なことは何かという弟子の問いに、孔子は以下のように答えます。「食を足し、兵を足し、民之れを信ぜしむ」。食糧、軍事、政治への信頼ということですが、さらに孔子は三者の中で最も重要なのは信であると続けて述べています。要するに、昔から国民の信頼が大切であるということです。政治・行政のトップの不祥事は絶対に許されないのです。「信」の形成は、継続的な蓄積、大勢の人々の長期の努力を要しますが、課題の多い現在の日本には特に必要なものであると言えます。

立派な公務員になるために

立派な公務員になるためには、以上述べてきたことと重なる部分もありますが、まず、立派な人間になること、志をもつことが必要です。それにはまず人間如何にあるべきか学ぶ必要があります。論語には「学びて之を習う、亦た説(よろこ)ばしからず乎」とあります。この「習う」という字は雛鳥が親を真似て、羽を広げ飛ぶ練習をする様を表しています。生きていくため、命がけで学び、身につけ、実践することは素晴らしいことであるということです。また、吉田松陰も「学は、人たる所以を学ぶものなり」と言っています。また、江戸時代の儒学者である佐藤一斎は「少にして学べば壮にして為すことあり」と言っています。それから、吉田松陰は「三端の教え」と言って、立派な人間になるために必要なことは「立志、択交、読書」であると言っています。「立志」とは高い志を持つこと、択交」は良き友人を選ぶこと、「読書」は聖賢の書を読むことです。良き友人たちと切磋琢磨していく、読書も良い本を読むことが大切である。そういう意味です。

また、考え抜く、ということも必要なことです。公務員は誰よりもよい政策を、ベストな政策を努力して作り上げなければなりません。室町時代の観阿弥・世阿弥の言葉に「守破離」というのがあります。「守」は先人の教え通りに実行すること。「破」は物事の真意に辿り着き、教えを破ること。「離」は新たな自分の境地に至ることです。最初は言われた通りに実行することが必要ですが、それだけでは社会の変化に対応できないという面もあります。そして最後に、謙虚であること。人の話をよく聞くという姿勢が大切です。

国家公務員としての仕事・職務に対する心構え

国家公務員の仕事をするに当たっての心構えとして大切なのは、やはり責任感を持つことです。誠心誠意、最後までやり遂げること。途中までではやったことになりません。そして良心、義と恕の心を持つこと。何度も言いますが、最後に影響を受けるのは国民です。国民に対する思いやりの心が大事です。それから、志。私が公務員になった1970年は学生闘争が盛んだった時期でした。あれこれ進路を考えましたが、当時は高度経済成長期で、高度経済成長という光の部分がある一方で、公害問題という影の部分が社会問題となっていました。そのような中で、私は公害問題に取り組もうと思って厚生省に入りました。それが私の志であったわけですが、志は、壁にぶち当たった時のバネ、壁を乗り越えるエネルギーになってくれるものです。信なくんば立たず。行政への信頼が不可欠であることは今までに述べたとおりです。国民を裏切らないという心構えが必要です。

みなさんには様々な道があると思いますが、最後に、「後輩の存在意義は先輩を乗り越えることにある」ということを言っておきたいと思います。日本がよくなるためには、みなさん後輩が我々を乗り越えていくことが必須です。以上、ご清聴ありがとうございました。

質疑応答

Q1. 公務員の給料が民間平均より0.23%高いため是正勧告がなされたという報道が最近されましたが、それに対し民主党は公務員に対してさらなる7.8%ほどの賃金カットを議論しています。公務員の給与は必ずしも民間よりも高いわけでもないにもかかわらず公務員の給与の更なる削減をすることは、優秀な人材を遠ざけてしまうのではないでしょうか?

A1. 民主党は2年前に公務員の給与の2割カットを公約に掲げました。人を減らす形での人件費カットなら政策としては良いのだろうと思いますが、公務員の単価を減らす形での人件費カットは優秀な人材の確保という点で良くないと思っています。やはり安定的な生活を送れるという見通しがなければ優秀な人材は集まらない。

給与についてはこう考えるべきでしょう。先ほど、税金が余った時の話をしましたが、黒字となった税金分は企業であればボーナスなどで給与に上乗せされたりしますが、公務員の場合は給与に上乗せはせずに国民に還元します。逆に、赤字の場合には赤字だからといって給与を減らすのであれば、日本のように1000兆円も赤字があればいくら削減しても足りません。公務員給与が不安定なものになってしまいます。したがって、一般的な財政事情は反映するべきではないと私は思っています。また、競合する分野の中から優秀な人材が公務員の世界にも来てくれるようにするためには、安定した給与がやはり必要だと思います。しかし、給与だけの問題ではなく、やりがいのある仕事であれば人材は集まると思うので、しっかりそういった仕組みをつくる必要性もあります。

民主党の7.8%という数字は、民主党政権ができてからの民間の給与水準の下落に伴い人事院の勧告で4%ほど給与が減っていますが、20%を前提にして概ね定員削減で半分、給与で半分と考えたのではないでしょうか。一部の組合は7.8%下げても良いと言い、一方で反対する組合もいます。多くの公務員はその交渉にまったく関わりをもっていません。そのような中で7.8という数字が決まりました。

しかし、この数字の根拠は何なのか。公務員の給与の在り方として適正水準なのでしょうか。昔、昭和57年の時に、人事院勧告(4.58%↑)をしなかったことがあります。その時に、最高裁まで争われたのですが、1年間人事院勧告を実施しなくても、それをもって違憲ではないという判断になっています。違憲ではない理由は2つありまして、1つは、政府は人事院勧告を尊重するという基本姿勢を堅持しているから。先ほども申しましたように労働基本権制約の代償が人事院勧告でありまして、これは現行憲法下で合憲だとされた仕組みですので、それを守らないとなると違憲の状態になるので、それは許されない、人事院勧告を尊重する、という基本姿勢を持っていること。それからもう1つは、未曾有の財政状態の中でやむを得ずこういう措置をとった。年金の物価スライド(2.4%↑)をやらない、米価もあげない、大学の授業料は高くする、ということで国民に様々な負担を課した、そのような中で公務員の給与も上げないことにした。そういうことを踏まえて、1年実施しなかったからといってこれが違憲になるということではない。ただ、人事院勧告制度が絵に描いた餅になってしまうと違憲になるので、そういうことがないようにというのが最高裁の判決であります。

そういう最高裁の判決に照らして、7.8%の削減が適正なのかという疑問を私は持っています。東日本大震災の財源確保の一環として公務員に負担を求めることは、未曾有の国難ですからやむを得ない面もあります。しかし、国民にどのような負担を求め、それとのバランスからみて、公務員の負担が適切と言えるのかどうか。

それから、今の7.8%の法案は25年度までに実施して、それが終わると元に戻すということになっています。3年間も凍結をするということは、毎年春闘を行っている民間とバランスがとれているのだろうかという意味で問題があると思っています。

Q2. 「公務員になるには人格を磨くべきである」というお話でしたが、公務員の規律を確保するため、どのような組織的な対応ができるのでしょうか?

A2. 組織的な取り組みはある程度はやっていますが、倫理的内面的な側面が大きいため組織的に規律するには限界があり、個々人が自分を律していくのが基本だと思っています。

Q3. 官僚や官僚機構について様々な問題点が指摘されていますが、公務員に問題があるから国家公務員制度改革が必要なのだという因果関係が成り立たない限り、国家公務員制度改革を行っても問題は解決されないと思うのですが、そこの具体的な見取り図を教えて下さい。

A3. 公務員制度改革で挙げられている問題の全てが公務員に責任があるとは私は思っていません。政治サイドで行われなければならないこともありますし、国民サイドにも行政や国家運営について理解して欲しいこともありますし、マスコミの報道によって国民の理解が曲げられているとすればマスコミにも大きな責任があると思います。公正に物事を考える社会にならなければ、公務員制度改革のみをしても目指す姿にはならないだろうと思います。しかし、だからといって公務員制度改革をしなくても良いという話にはならないと思います。

中央省庁の場合、サービスが直接国民に結びつかないため、改革の効果をいかに測定するかというのは非常に難しい問題です。日本の経済成長は昔の行政がうまく機能していたからだという議論がありますが、実際には検証できないと思います。しかし、長らく日本の景気低迷が続いているというのは政治も公務員も含め、何かが欠けているからだと思います。サービス改善の効果はなかなか測定できませんが、制度を改善することによって課題解決能力が高まるのであれば、公務員制度改革はひとつの成果になると思います。

Q4. 縦割りの改善策について、法律では幹部人事の一元管理などがあると思いますが、それ以外にも慣習や組織文化、空気などが大きな部分を占めていると思うのですが、そこに関する解決の方策があれば教えて下さい。

A4. 縦割りの問題は確かに法律を改正すれば全てが解決するというものではありません。縦割りには弊害もありますが、一方で良いと評価できる面もあります。それは、特定の仕事に関して各課や各省が、他がやるよりも自分たちがやることが一番国民にとってプラスにつながるという自信と意欲を持って取り組んでいる証とも言えるからです。このプラスの側面、仕事に対して熱心な部分は残しつつも、縦割りの弊害を調整する仕組みを設けることが必要です。制度的な積み重ね、運用上の積み重ねが縦横に結びつけば、問題克服につながると思っています。

Q5. 今年の公務員制度改革関連法案の中で人事院を廃止し、内閣府の外に公務員庁をつくるという仕組みがありますが、その場合人事院の独立性をなくすことによる具体的な影響は何ですか?

A5. 人事院の場合、最終責任者は私でありまして、どの大臣の下にも属していないので、内閣の各大臣にもある意味対等に意見を言えますし、国会でも人事院という立場で直接ものを言うことになります。公務員庁になりますと内閣府に属することになりますので大臣の下での組織になります。つまり、大臣の指示の下で動くことになりますので、今のような第三者的独立・中立的な働きはできなくなる恐れがあります。また、先ほどの7.8%給与カットするという法案のように「内閣のやっていることがおかしい」と思った場合でも、今のように内閣や国会に直接意見することができなくなります。したがって、第三者の目から見て客観的に問題点を指摘したり、改善点を指摘したりということが、運用如何ではできなくなる恐れがあります。

Q6. 今回の公務員制度改革では公務員の基本権については、協約権の付与までしか行わないということですが、仮に争議権を公務員に与えた場合、民間企業と同じレベルの基本権付与になるため、民間企業並みにリストラしやすくなるのでしょうか?

A6. 民間で、スト権を認めているからリストラしやすいと思っている企業はないのではないかと私は思います。自主退職を求めるときは、退職金を相当上乗せしたりしながらやっている。公務員の場合は、本人に問題があれば懲戒処分、解雇ということもできますが、理由なく解雇することは法律上禁止されていますので、争議権を与えたらリストラしやすくなるということは、私は起こらないと思います。諸外国では例えば、アメリカは自由民主の国ということですが、アメリカの国家公務員もスト権は認められていませんし、給与についても政府が一方的に決めることになっています。一方、フランスは争議権を認めていますが、交渉が成り立たなければ政府が一方的に給料を決めます。政府の決めた給与に不満がある場合は、去年はルーブル美術館などでストライキをしていましたが、そういうことが頻繁に起きています。これは革命でフランスをつくったという歴史が背景にあるように思います。各国ともそれぞれの歴史を踏まえてその国なりの制度となっており、リストラしやすくなるからということで争議権を認めている国はどこにもないと思います。

Q7. 国家公務員としては信念や志が大切な一方で、組織的に志を持つように育てることには限界があるということでしたが、なぜ限界があるのでしょうか?

A7. 志を育てることに関して組織的にやれることは研修ぐらいなのです。研修でそういうことについて文献を読んだり、事例を見たりしながら学ばせていくことはできると思います。カナダの場合、研修所だけで日本の人事院よりも大きな組織を持っていて、インターネットを使って諸外国にいる人でも研修を受けられるようにして研修を受けさせ、レポートを書かせるそうです。例えば、幹部になるためには一定の研修を受けないとなれない、とかですね。そうやって、政府をあげて研修に人手と予算をつけて行われていれば、こういう研修内容もできるかも知れません。しかし、日本の場合は、OECD諸国の中でも公務員の数が相当少ないため仕事がいっぱいで、人事院でも研修は行ってはいるものの、忙しさを理由に各省必ずしも喜んで人を出してくれないというのが現状です。そのような状況を見ていると、今の日本で研修を通じて自分たちを高めていこうとするのはなかなか難しいように思います。その分、自分なりに各自が努力することが必要なんじゃないかと思います。

Q8. 公務員制度改革を通して定年制の導入について議論されていると思いますが、定年制が導入された場合人事が滞留してしまい、効率的な行政が行われないのではないかという懸念があると思います。定年制の導入及び効率的な行政を両立させるためにどのような方策が考えられるのでしょうか?個人的には、幹部職員の国際機関への出向というのが一つ考えうると思うのですが、その点について何かお考えがあれば教えて下さい。

A8. 現在の公務員の定年は60歳ですが、平成25年度から年金の支給開始年齢が3年に1歳ずつ繰り上がっていきます。平成37年度には年金支給が65歳からになります。これに合わせて定年を延ばしていこうという提言を人事院からしたわけですが、公務員全体の定員を増やしませんので新規採用を抑制せざるを得ません。それから、年長者がたくさん残ることになりますと簡単に課長になれないなどといったことも起きてきます。そうしますと、組織の活力が低下することになりますので、人事院としては役職定年を導入することを提言しています。働くのは61歳、62歳と伸びていきますが、課長や局長として働くのは60歳で切ってしまう。そうすれば従来と同じような人事ができます。今後は能力主義をもっと徹底して内部選抜を厳しくしていく必要があると思います。

それから、人事院としては、適正なルールの下で組織外に仕事を求めることも、ある程度は必要なのではないか、というようなことも言っています。国際機関への出向も、官民人事交流も、その他の外のポストもあると思います。そうすることで、組織に残って然るべき人を選別して、開いた隙間に能力のある若い人を入れていく。民間企業でも多くの関係子会社を持っていて、会社に残らない人はそこに出していくことによって、本体組織の活性化や能力強化を図っています。公務員についても同じようなことが言えるのではないかと思っています。

関連項目