第67回公共政策セミナー

『企業経営における危機と変化』

新日本製鐵 三村 明夫 会長

日 時 :2011年11月29日(火) 17:30~19:15
会 場 :東京大学本郷キャンパス 法学部4号館 8階 大会議室
司 会 :長谷川 榮一(東京大学公共政策大学院教授)

11月29日(火)法学部大会議室において、新日本製鐵三村明夫会長による第67回公共政策セミナー『企業経営における危機と変化』が開催されました。

講演概要

企業にとっての成長

企業は誰のため、何のために存在しているのか。経営者なら誰もが自問自答することだと思います。よく言われるのは、株主のためということです。しかし、株主でも例えばデイトレーダーのために企業が存在すると考えるのには違和感があります。

私が常に申し上げるのは、従業員が働くことに誇りを持てるような会社にしたいということです。そのためには何が必要でしょうか。報酬はもちろん、仕事を通じて社会貢献を感じられること、何よりも会社が前に向かって成長していると思えることが大事と思います。

企業は成長を目指さないといけません。成長なくしては、企業変革もしにくくなります。結果、社員の士気もモラルも低下することになります。

危機と経営

1985年のプラザ合意の結果、日本の輸出産業全体が大打撃を受けました。新日鉄も従業員を6万8000人から1万5000人と、実に人員の75%削減というすさまじい合理化を行いました。今考えれば、従業員も組合もよく協力してくれました。

しかし組合との対話で問われたことがあります。経営合理化の結果、会社はどこに行きつくのか、と。それを示して欲しい、と。まことに正当な要求でした。経営合理化だけでは、従業員の士気を保つことはできないからです。

自分が社長就任直前に読んだ本に『ビジョナリー・カンパニー』という本があります。その中で、長い歴史のある優良企業に共通しているのは企業理念を持っているという記述がありました。しかし、実は新日鉄には企業理念がありませんでした。特に若手社員は新日鉄の経営合理化時代しか知りません。そこで会社の進むべき方向を示すことは、経営者の役割だと改めて認識しました。

また成長を考えることで、事業機会を前向きに捉えようとするとイノベーションへの意欲が沸き、研究開発・事業開発の方向性・重要性を共有し、必要な新しい人材の採用・育成にも力が入ります。同時に経営の安定も確保しないと足下が揺るがされます。そこで大事になるのは危機に対する認識とその対応です。

経営者の大きな役割の一つは「危機を予見すること」です。ただ、経営の危機感は現場には理解され難く、逆に現場の問題は経営に伝わり難いものです。経営トップには「危機を素早く認識すること」と同時に「組織内で危機感を共有すること」が求められます。

危機には、大きく分けて二種類あります。

一つは「目に見える危機」です。最近では、リーマンショック、東日本大震災、欧州の金融危機などがありました。日本経済も10年に一度は大きな危機に遭遇してきました。このような大きな環境変化の中では、もっぱら生き延びることに企業の目的が置かれてしまうのはやむを得ないことです。生き延びた企業のみが、新しい経済情勢の中で成長の切符を手に入れることができるのです。「目に見える危機」に対しては、経営者の裁量はもちろん、平常時にどのような経営が行われていたかが端的に試されます。

もう一つは、競合品の出現、深刻な品質クレーム、敵対的買収など静かに進行する「目に見えない危機」です。これらは、日常的な備えによって予め防ぐことができる危機ですが、経営者が物事のありのままを直視しないことや、時には痛みを伴うような根本的な対応を怠り対処慮法的な対策を繰り返すことによって事態がより深刻化します。経営者は、自らが「現実否認」「傲慢」「慢心」に陥っていないか常に厳しく問い続けなくてはいけません。外部の常識を日常的に自社に取り入れる仕組み、例えば、社外役員を迎えたり、社長自らIRを行ったりするなどにより、社外からの視線を常に意識することが必要です。

企業の平均的な寿命は30年から40年と言われています。1980年代のフォーチュン誌にエクセレントカンパニーとして選ばれた企業の既に三分の一は倒産しています。私たち新日鉄も前身の八幡製鉄所を含めれば創業100年を超える企業ですが、日本には長寿の会社が多数存在しています。

創業200年以上の会社は世界で7000ありますが、実にその半数は日本の会社です。これまでは日本の企業は、危機を乗り越えられる実力を持っていたと言うことです。果たして、これからはどうでしょうか?

経営者の危機に対する対応

ここからは、大きな危機に対して新日鉄がいかに対応して来たか、三つのケースを見ていきたいと思います。大切なのは問題に真正面から向き合う「正道」であるか、ということです。

まず一つ目にお話ししたいのが、冒頭でも触れたプラザ合意後、円高により日本企業全体の競争力が低迷した際のことです。1987年2月、私たちは第一次「製鉄事業中期総合計画」複合経営の中期ビジョンを発表、固定費の削減を目指しました。人件費削減のため75パーセントの人員を削減、そして設備能力の削減を実行、中型溶鉱炉を休止にし、大型溶鉱炉に集約させる体制を構築しました。溶鉱炉休止を決定した釜石製鉄所のある岩手県釜石市では、市の人口5万人に加え近隣の市民からも計12万人もの溶鉱炉休止の反対署名が集まったことを記憶しています。

二つ目は、鉄鋼大手ミッタル・スチールがアルセロールを敵対的買収した際の話です。「三村さんに世界で一番はじめにお伝えします」とミッタル氏本人から直接連絡があったのですが、これは今振り返っても非常に衝撃的な出来事でした。アルセロール・ミッタルという新日鉄の4倍ものライバルが誕生し、アルセロールという時価総額4・5兆円の企業であっても敵対的買収される可能性があるということが明らかになったからです。

経営内容が良いことは最も重要でありますが、しかしそれだけでは十分ではありません。自らの企業の社会的使命や企業価値を明確にした上で、利益成長と同時に、その使命や価値を守るために、経営の「安定」にも力を注ぐべきだと強く感じました。

ここで私たちがアルセロール・ミッタルへの対抗として採用したのは「ソフト・アライアンス」戦略です。買収など資本による提携ではなくて、企業フィロソフィーが同じで、互いに信頼感を持てる企業同士が、その独立性を保ちながら、あたかも合併したかのごとくメリットを出す戦略です。この時、韓国のポスコ、日本の住友金属、神戸製鋼と「ソフト・アライアンス」を組みました。

そして三つ目として、現在の世界情勢の中で新日鉄がいかなる行動を取っているかをお話したいと思います。目下、新興国の発展、都市化に伴う中産階級の需要にはめざましいものがあります。一方で、日本における内需主導の経済成長は限界を迎えつつあります。本来であれば、こうした海外の成長エネルギーを日本経済の成長に取り込まなくてはいけないのですが、現在の日本のGDPにおける輸出割合、輸出依存度は16%にとどまっています。この数字は、中国や韓国はもちろん、ドイツをはじめとする米国を除く先進国と比較しても極めて低い数字です。

新日鐵が進むべき道

必要なことは産業ごとの統合再編です。内需が停滞しているにも関わらず、日本にはメーカー数が多すぎます。今までは国内収益が多少悪くても、輸出により利益を上げられてきましたが、昨今の円高によりそれにも陰りが見えてきています。従って、今、必要なことは国内企業の統合再編を行って、海外での事業展開を積極化していくことです。つまり、日本企業は統合再編を通じて国内収益を安定させ、大規模な海外事業に打って出る、グローバル・プレーヤーになるべきなのです。

海外には日本企業よりはるかに大きな巨大メーカーが待ち構えています。中国や韓国では国策として、企業の再編が進み、世界規模の巨大メーカーが誕生しています。もっとも日本での企業の統合再編は、国の主導ではなく企業の自助努力としてなされるべきです。自助努力をせず、その結果として国際競争力のないメーカーは市場から退出するべきだと考えます。

日本は危機を認識しているにも関わらず、統合や合併に対して強い拒否感を持っています。余力がある企業は統合したがらないものです。そこで有力な手段は敵対的買収ですが、日本では一般的ではない上に、統合後のマネジメントコストがかかります。

ここで重要になるのは、経営者がいかに将来に対する危機意識を持てるかです。健全な企業同士が国際競争力強化のために統合した事例はあまりありません。かつて富士製鉄と八幡製鉄が合併し、新日鉄が誕生したのが数少ない実例です。私自身も当時は「なぜ合併しなくてはならないのか。せっかく業界2位の会社で1位を目指そうとしていたのに」と思ったものです。

本年2月、新日鉄は住友金属工業の合併を決断しました。それは住友金属と当社の10年にわたる「ソフト・アライアンス」が可能にしたことです。統合によるシナジー効果によって1500億円以上のコスト削減効果を得られます。研究開発体制の充実よる商品開発力の強化も期待できます。また莫大が費用と人員が必要となる高炉一貫製鉄所の海外展開も可能となります。 ようやくグローバルカンパニーとなる条件が整ったわけです。

今回の統合発表に対して、政官財それに需要家・学会・マスコミに至るまで、こぞって強い支持を表明して頂きました。誠に心強い限りです。私たちの統合が時代の必要性を踏まえ、「まさに正道」を歩んでいるとの確信を得ることができました。こうなれば是非とも日本のためにもこの統合を成功させ、鉄鋼業界も含め日本の産業の中で次々と同様の試みにチャレンジする企業が現れてくれることを強く望んでいます。

日本の再生

最後に、「日本の再生」に関して話してみたいと思います。海外出張をするたびに実感するのですが、世界から見た日本というのは、まだ世界有数の経済大国です。また、教育レベル、特に初等・中等教育レベルの高さ、国民の勤勉性、モラルの高さには目を見張るものがあります。ただし大学教育にはまだまだ改善すべき余地が多いと、あえて申し上げておきましょう(笑)。

日本の課題は東日本大震災からの復旧だけではありません。経済で言えば、法人税の高さ、環境規制、自由貿易協定(EPA、FTA)の遅れなどビジネス・インフラの劣化が問題となり、過去にないペースで大企業、中小企業の海外移転が進んでいます。ただ、こうした海外企業の移転というのはなかなかデータで把握するのは難しいのです。つまり日本は、目に見えない危機に遭遇していると言えるのです。

我々は国家を離れては生きられません。日本企業が国内に拠点を維持しながら他国と対等に競争するためには、ビジネス・インフラの整備が急務です。政府には、海外の企業と同じ条件で国際競争をできる環境作りを求めたいと思います。たとえば独禁法に関しても、独占と判断する場合の分母を国内ではなくて、実質的に競争が行われている東南アジアなどを含めた地域で判断すべきだと思っています。

私はエネルギーのベスト・ミックスを策定する経済産業省の審議会の委員長を務めておりますが、日本のビジネス・インフラを考える上で、電力の安定供給も必要な視点だと考えています。

「TPP交渉参加」表明が持つ意味合い

私は、TPPの交渉参加に向け首相官邸で農業再生を議論する場として設置された「食と農林漁業の再生実現会議」の有識者委員も務めていますが、この議論は経済開放か農業再生かは二者択一ではありません。

日本がTPPに参加しない場合、誰が被害者になるでしょうか。海外に行けない産業、企業、労働者です。私は、農業改革のバネとしてTPPを利用するべきだと思います。もちろん、TPPに参加したからと言って、日本の全ての問題が解決するわけではありません。日本は、税と社会保障の一体改革等、数々の課題を抱えていますが、今回のTPP参加への決断は、日本が今後、他の構造的な課題を解決出来るかどうかを計る、政府にとってはまさに分水嶺的な重要性を持つものだと思っていました。

日本はGDPとGNPの差が先進国中もっとも開いており、その差はさらに拡大しています。これは日本の海外展開が進んでいること意味しますが、このままでは日本は貿易赤字国となります。資源やエネルギーがない日本は、外貨を稼がずにどうやって国民生活に必要な資源やエネルギーを調達することが出来るでしょうか。

政権が交代するたびに、毎回成長ビジョンというものが提示されます。しかし有効な成長ビジョンは過去に何度となく提示されているのです。2010年に経済産業省が発表した「産業構造ビジョン2010」にも日本の危機意識が極めて的確に記されています。やるべきことは実行だけなのですが、現在の政治に危機意識がありません。その中での野田首相のTPP交渉参加の表明は、久しぶりに日本が発したポジティヴなメッセージだと思っています。

学生諸君に向けて

君たちは本当に恵まれています。もし私が若かったら世界で活躍するグローバル・プレーヤーになることを目指すと思います。さて、経営者は、会社の全ての課題を自ら処理する必要はありません。しかし20%くらいは、自らが解決することとし、部下の持ってくる課題ではなくて、経営者の目線からしか見えない課題を発見します。困難な課題こそ自ら取り組むこととし、それに真正面からぶつかるようにしています。みなさんにも、真に重要な課題に対しては、真正面からぶつかって頂きたいと思います。

質疑応答

質問
日本の高等教育の遅れという話がありましたが、詳しく教えて下さい。

回答
今まで日本では平均レベルを高めるための教育が中心でした。しかしこれからは、相手との違いを十分に踏まえた上で、自分の主張を明示できるグローバル人材の高等教育での育成が必要です。大学は大きな自治権を与えられています。東京大学では秋入学の導入が話題になりましたが、大学の一存でできるはずです。大学単位で出来ることはたくさんあるのです。

また、日本の大学は卒業があまりにも簡単すぎます。東大の場合、入学試験は難しいけれど、卒業は簡単でしょう(笑)。平均的な大学生は授業以外の勉強をほとんどしていません。データによると、全大学平均では、1時間だそうですが、このような状況を改善すべきです。

質問
住友金属との合併によって、他社とのソフト・アライアンスに変化はありましたか

回答
ポスコとは10年間にわたって海外における共同事業や、延べ7000人、500回にもわたる技術交流会等、非常に密接な交流を行って来ました。その関係は今回の合併によって変わるものではないと思います。

質問
自民党から民主党に政権交代がありましたが、それによって何か影響はありましたか。

回答
民主党が政権を獲得した時、私は丁度オーストラリアにいました。その時、同じように10年ぶりに政権を取った与党・労働党の大臣と話していて、感心したことがあります。「我々は、まずは今までの与党政権が何をしてきたのかを勉強をする。暫くは前政権の政策を継承することが重要だ」と仰っていたんです。その通りだと思いました。民主党にも、政権を取ってしばらくは勉強してもらいたかった。

また、政治と経済は車の両輪であるべきなのに、しばらくは政治と経済との間で情報共有が途絶した状況だったのが残念でした。もっとも自民党も長らく農業改革をしてきませんでした。TPPに反対する方は、自民党にもいます。政権を取ることを第一に考えるのではなく、国として大事なことをして欲しいと思っています。

質問
企業の統合・再編に関して政府が関与すべきではないという話をもう少し詳しく教えて頂けますか。

回答
自由主義経済に身を置く立場として、政府に統合再編をお願いするのは絶対にすべきではないと思います。その結果、企業に競争力がなければ市場から淘汰されるしかありません。ただ、そのためには日本の独禁法の運用もグローバル市場に適用したものでなくてはいけません。従来は国内市場における市場占有率のみが判断基準でありましたが、実質的に競争の行われている、例えば東アジアだとかのシェアが考慮されるようになりました。私たちの合併に対する公正取引委員会の対応が、日本における統合再編に対するポジティヴなメッセージになることを信じています。

質問
海外企業との統合再編をどうお考えですか。

回答
当然、あっても良いでしょう。武田薬品工業さんとか、旭硝子さんは海外の企業を買収しました。ただ、国内企業か海外企業かは業種によっても違うと思います。鉄鋼業界に関していえば、たとえば私たちが中国企業を買収することはほぼ不可能でしょう。中国政府が反対します。実質上、海外企業を買収できない条件があるのです。ならば、その国の最も優れた企業とジョイント・ベンチャーを組むのが良いというが私たちの選択です。

質問
海外への人材流失の話などがありますが、学生の就職に関してどう思われていますか?

回答
学生は自分たちが成長できると思う企業にしか来ませんよね。留学しようとすると親が就職上不利になるから止める、という話を聞きました。新日鉄では留学が不利になるということは全くありません。秋入社の試験も実施していますし、新入社員のうち2割は在外経験のある方たちです。

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