第73回公共政策セミナー

蒲島郁夫 熊本県知事

『行政の新フロンティア~くまモンの政治経済学~』

東京大学教授から政治家に転身し、現在熊本県知事2期目を務めていらっしゃる蒲島郁夫氏。「県民の総幸福量の最大化」を判断基準とした県政に取り組み、ゆるキャラくまモンを営業部長に指名するなど、これまでにない方法で地域活性化に取り組んでいらっしゃいます。

今回のセミナーでは、「行政の新フロンティア~くまモンの政治経済学~」と題し、蒲島知事が展開する行政についてお話いただきます。

日時:2013年5月22日(水) 10:30-12:00
会場:東京大学本郷キャンパス 小柴ホール(地図

2013年5月22日、熊本県の蒲島郁夫知事による第73回公共政策セミナーを開催いたしました。熊本県営業部長のくまモンも登壇し、くまモン体操を披露してくれるというサプライズの一面も。講演後には学生より多くの質問が出され、蒲島知事は1つ1つ丁寧にお答えくださいました。大変活気あるセミナーとなりました。

セミナー概要

人生の可能性

私は、「人生の可能性は無限大」だと思ってずっと生きてきた。「逆境の中にこそ夢がある」と思っている。

昭和22年1月、旧満州国から引き揚げてきた家族の10人兄弟の8番目の息子として私は生まれた。お金がないので、小学2年生から高校3年まで、1日も休まず新聞配達をして家計を助けた。

成績は良くなく、小学校の6年間で通知票の「5」をもらったのは一回だけだった。高校は220人中の200番台で卒業した。ただ、夢はとても大きく、小説家になること、牧場主になること、政治家になることという3つの夢を持っていた。

18歳で卒業して地元の自動車会社に就職した。その後、地元の農協に勤め、牧場主になりたいという夢があったので、農業研修生として渡米した。ネブラスカ大学で3ヶ月間の学科研修があり、そこで学問の魅力に気づき、24歳のときにネブラスカ大学の農学部に入学した。

25歳のときに熊本にいた婚約者を呼び寄せて結婚し、28歳でネブラスカ大学を卒業した。大学に残ることを勧められたが、一番好きな政治学を学ぶためにハーバード大学に進学した。大学の専攻から見ると、非常に極端な選択であったが、ハーバード大学は私を受け入れてくれた。当時は子どもが2人いたので、奨学金付きであった。そして奨学金が4年間しかなかったため、博士号取得には通常6年程度かかるところを3年9ヶ月で修了した。自分自身を追い詰めることも学問では大事なことである。

その後、33歳で筑波大学の講師になり、50歳で東京大学法学部の教授に就任、61歳のときに東大法学部を辞め、熊本県知事に立候補した。現職の東大教授が選挙に出たというのは、東大の歴史上初めてということであり、それは大変誇りに思っている。

蒲島県政

私が知事になったのはリーマンショックの影響等で大不況の時期だった。不況期におけるリーダーシップは非常に困難であるが、私は3つのことを考えながら実行した。

まず、GDPとかGNPといった金銭的な指標から価値観を転換し、幸福量の最大化を大目標にすること。2番目に、不況の暗いトンネルを抜けたら将来何があるか、そういった夢を語ること。「夢」は、私のリーダーシップのキーファクターである。3番目に、川辺川ダム問題などの懸案事項を不況のときに解決し、好況になったときには懸案がないようにすることである。

行政というと継続性や安定性が重視されがちであるため、私は「熊本県政」でなく「蒲島県政」と呼ぶことにし、蒲島県政では3つのことを皆で考えようということにした。

1つは「できないと思うな。どうしたらできるかを考えろ。」ということ、それから「国に頼るな。他県と比べるな。」ということ、それから「皿を割ることを恐れるな」ということである。ただし、責任は私がとるということ、自分の任期中に結果を出すということをずっと言い続けてきた。

従来型の行政は指導や規制、管理が主な仕事であり、それは必ず継続性の重視、没個人につながる。政治と行政は県民の幸福量の最大化が目標であり、指導や規制、管理はあくまで手段でなければならない。従来の指導や規制、管理を中心とした没個人型の行政から、より個人の顔が見える県民の幸福量の最大化を目標とする県政へのパラダイムシフト、これが、私が熊本県で成功できた要因であると思っている。

蒲島県政には3つの政治がある。決断の政治、対応の政治、目標の政治である。

私が就任した平成20年、熊本県は大変な財政の危機にあった。そこで私は、財政再建のために、まず自分自身の給料を毎月100万円カットした。それで、3つの素晴らしいことが実現した。1つは県職員が給与カットに応じてくれたこと。2番目に県民が県財政の危機的状況を理解してくれたこと。3番目が蒲島知事はお金のために仕事をしているのではないと県民が認知してくれ、県民の政治的信頼を得ることができたこと。それによって、財政再建が可能になった。

決断の政治のもう一つは、40数年間対立が続いていた川辺川ダム問題である。国土交通省、県議会、県庁幹部はダム推進の立場であったが、私は就任から6ヶ月後に白紙撤回を表明した。国と反対の立場をとるのは大変なことであったが、民意も私を支持してくれた。

対応の政治の1つは、平成22年に宮崎県で発生した口蹄疫への対応である。私はネブラスカ大学での勉強を活かし、発生後すぐに対策本部長となって指揮を執った。このことで大胆な対策が可能となり、熊本だけでなく、九州さらには日本各地へのまん延を阻止することができた。

2番目の対応の政治は、昨年7月12日に起きた熊本広域大水害への対応である。私は、被害に遭われた方々の痛みの最小化、単なる復旧ではなくて創造的復旧・復興を目指すこと、そしてその復興を熊本の更なる発展につなげるという三つの原則を掲げ、指示した。ただ、職員としては早期復旧したいという想いがあるので、これは実際には難しい。しかしわが熊本県庁の素晴らしいところは、それを見事に実行に移したことである。白川の大胆な河道変更など、とにかく転んでもタダでは起きないという形で、創造的復興と更なる発展への取り組みを行っている。

それから、目標の政治。私は決断の政治、対応の政治とともに将来の目標の政治がとても大事だと思っている。その目標(y)は、県民の幸福量の最大化であり、そしてその最大化のために4つの要因があると考えている。

1つはE(Economy)、2番目はP(Pride)、3番目はS(Security)、4番目はH(Hope)。この4つの要因が県民の幸福量の最大化に結びつくものだと思っている。

これを、くまモンを通して考えてみる。例えばくまモン(K)も1つの政策、あるいは様々な政策があるが、その中で県庁の職員に自分たちが何をしなければいけないかということを考えてもらうために、このような方程式を考えることにする。

つまり自分たちの政策(K)が、Hopeにも影響するし、Securityにも影響するし、Prideにも影響するし、Economyにも影響する、そのような政策を考えようと、この方程式の考え方を県庁の全幹部に示している。

政策(K)の変化によって、幸福量がどのように変わるかを知るために、この方程式の全微分をdKで割る。

このような要因分析で、例えばくまモンという新しい政策(K)が経済(E)に、プライド(P)に、安心・安全(S)に、夢(H)にそれぞれどれくらい影響するのか、またくまモンそのものがどれくらい幸福量に影響していくのかというのを表すことができる。蒲島県政が常に考えている政策がこの全微分である。

くまモンの政治経済学

くまモンは九州新幹線全線開業をきっかけに2011年3月に誕生した。「熊本の者」という意味。最初は臨時職員だったが、今では知事・副知事の次にえらい「部長」である。

そのくまモンの首都圏・関西圏・九州での認知度は、平成24年11月の調査で87.2%もある。また、ツイッターやフェイスブック、くまモンオフィシャルサイトなども大人気である。

当初、くまモンの知名度を上げるため、まず熊本色を排除して大阪の観光名所に出没し、SNSを活用した口コミ型PRを実施した。他にも、大阪環状線の中吊り広告を50種類のポスターでくまモン一色にしたJRジャックや、くまモン、私とスザンヌでの吉本新喜劇への出演などを実施した。

中でも知名度の向上に最も効果があったのが、キャラクターの著作権を熊本県が買い取ったうえで、無料で利用してもらう「楽市楽座」的方式である。熊本県や熊本県産品のPRにつながるものであれば無料で使ってよいということにしたので、商標使用の申請が急増した。

ただ、今後は飽きられる可能性があるため、いまフロンティアを拡大している。東京では相当認知度が高まっているが、上海、北京、パリ、ドイツの方にも進出中。日本全国、世界中にフロンティアを拡大することで飽きられないようにすることが大事。

くまモンは4つの幸福の要因全てに影響を与えている。関連商品の売り上げは平成23年の25億円が平成24年には293億円となり、経済的豊かさ(E)に影響を与えている。WSJ(ウォールストリートジャーナル)の一面に取り上げられるなど、くまモンがいることが熊本県民の誇り(P)となっている。安心・安全(S)では、福祉の分野で「おしゃべりくまモン」が活躍している。夢(H)という点では、くまモンテディベアでドイツのシュタイフ社とのコラボが実現した。また、くまモン自身、ハローワーク採用から営業部長まで出世した。そのような夢があるのがくまモン文化だと思う。

くまモンには好循環が見られる。「誕生後、関西戦略で知名度アップ→ゆるキャラグランプリで一位→マスコミが大きく報道→グッズが売れる→大手企業が商品化する→その経済効果が報道される→県民が誇りに思う→福祉・教育分野で活躍→新たなアイデアが生まれ、夢が実現する→マスコミが大きく報道(に戻る)」という好循環である。

しかし、くまモンはあくまで幸福量の最大化のための政策手段の一つに過ぎない。私は職員に「第二のくまモンを探しだそう」と言っている。それは、単なるPRキャラクター作成ではなくて、くまモンのように4つの幸福の要因に全てに影響し、県民の幸福量に寄与するような政策を探し出すことである。

行政というのは規制とかコントロールとか指導とか、そういうものではなくて、幸福量をいかに高めるか、そのための政策をいかに探し出すかということであると、政治学者から実際の知事になって気づくようになった。公共政策大学院の皆さんもぜひ考えてみてほしい。

関連項目

公共政策セミナー