林良造先生は、通産省・経産省の中枢で、日本の産業・エネルギー・通商政策を中心に政策立案に携わられると同時に、東京大学公共政策大学院(GraSPP)の創設にも深く関わってきた、日本の公共政策を「実務」と「学問」の両面から築いてきた第一人者です。
今回は、2004年に創設された東京大学公共政策大学院の設立経緯をはじめ、政策の現場と学問を架橋する意義・重要性を中心にお話を伺いました。
公共政策大学院は、なぜ生まれたのか
公共政策大学院が生まれた背景には、21世紀前後に世界的に広がっていた「実務家を育てるプロフェッショナルスクール」の流れがあります。ロースクールやビジネススクールが各国で拡大し、理論だけでなく、実務を担える人材を体系的に育てる教育の必要性が強く意識されるようになっていました。
東京大学でも、従来の学部教育とは異なる形で、政策の現場を担う人材を育てる場が必要ではないかという議論が進みました。法学部系、経済学部系の学者がそれぞれの問題意識や考え方を持ち寄り、文部科学省とも調整を重ねながら、統合的な形で公共政策大学院がスタートしました。
もっとも、異なる学部文化を一つの組織としてまとめていくことは、当初から大きな挑戦でした。価値観や方法論の違いをどう乗り越えるかという課題を抱えながらの船出だった、というのが率直なところです。
中核のコンセプトは「現場×学問」の統合
私の中で一貫して大切にしてきたのは、政策の現場とアカデミア、つまり学問の知見を結びつけることです。GraSPPの創設期においても、それがいわば“接着剤”の役割を果たしていました。
城山英明先生や伊藤隆敏先生をはじめ、多くの関係者が、限られた資金・人材・場所の中で、強い熱意をもって知恵を出し合い、試行錯誤を重ねながら形にしていきました。私自身も、中央省庁の幹部として政策を担う立場にありながら、米国のハーバード大学ケネディスクールで教鞭をとった経験などを共有し、「学問と政策の質を同時に引き上げる場」を日本につくる必要性に強く共感して、この取組に関わりました。
うまくいく鍵は「専任で担う人」を増やすこと
新しい組織というのは、立上げ当初は勢いがあっても、時間が経つと、どうしても元の組織文化に引き戻されがちです。私は米国の事例を見ながら、専任教員(いわゆるプロパー)を増やして組織のエネルギーを保つモデルと、各学部との兼務(出向)中心で、結果的に元に戻ってしまうモデルの違いを強く意識していました。
そこで、寄付講座なども活用しながら、実務経験を持ちつつ、公共政策学の理念に共鳴し、組織の成長に責任を持って関わる人材を増やしていくことが重要だと考えてきました。
授業は「面白い話」ではなく「仕組み」を学ぶ場
実務家の授業というのは、どうしても“ドラマとして面白い話”で終わってしまいがちです。しかし、授業という場では、個々の人物像やエピソードをいったん脇に置き、出来事の背後にある「共通する仕組み」に目を向けることが重要だと考えています。
実務家が持つ一次情報の豊かさと、研究者が持つ整理・体系化の力が組み合わさることで、政策の側も学問の側も伸びていく。そうした好循環をつくることが、教育の役割だというのが、私の基本的な考え方です。
いま必要なのは「原点に戻る議論」と改革
近年の公共政策大学院は、公務員志望者の減少や留学生比率の増加など、創設時に想定していた姿とは異なる様相を見せています。例えば、Mid-Careerプログラムのように、1年で学位を取得しやすい仕組みを十分に整えられなかったことや、総合大学としての強み(多分野の研究者との連携)を十分に活かし切れていない点は、今後の課題だと感じています。
単に組織をきれいに整理するだけではなく、「何を新しく作りたいのか」を幅広いメンバーで改めて考え直すことが必要です。そのためには、場合によっては大胆な組織改革や制度改革も含めて、動いていく覚悟が求められると思います。
若い世代へ:現状を変える力を持ってほしい
若い人たちには、現状に満足せず、より良い社会へ変えていこうとするエネルギーを是非持ってほしいと思います。政府、民間、研究の間を行き来するキャリアの道は、以前よりも確実に広がっていますし、どのような場においても政策の質の向上に関わる可能性は、誰にでもあります。
だからこそ、政策とは何かを学び、将来いかなる場所でも社会に貢献できる「思考の土台」を身につける場として、公共政策大学院の役割は、これからも重要であり続けると考えています。
(企画・取材・構成・執筆=殿木久美子、東京大学リサーチ・アドミニストレーター)