第61回公共政策セミナー

「地域主権時代における自治体の挑戦」

嘉田由紀子 滋賀県知事

日 時 :2010年11月5日(金) 14:00~15:30
会 場 :東京大学本郷キャンパス 法学部4号館8階 大会議室

11月5日(金)法学部4号館8階大会議室において、嘉田由紀子氏(滋賀県知事)による第61回公共政策セミナーが開催されました。


嘉田由紀子氏(滋賀県知事)

概要報告

<なぜ知事に?>

「生活者感覚を大事にする知事」として4年間務めてきましたが、日本社会の構造は制度疲労を起こしており、これまでの政治行政の慣性の力が強く、動かしにくいものだと感じます。この4年間の経験から、はじめに私の政策形成の中身と、後ほど基礎自治体と広域自治体の関係・国と自治体の役割、日本で初めて関西から動き出した広域連合等について語りたいと思います。

私は、アフリカのマラウイ湖で研究をしてきました。国際的に人類が大変な温暖化対策や生物多様性の問題も含めて、危機的な問題を抱えている中、地域から変えていきたい、という思いで知事になりました。

埼玉出身の私ですが、15歳の時に、中学校の修学旅行で比叡山の延暦寺から琵琶湖の美しさに惹かれて、1969年、京都大学に入学しました。東大入試が中止になった年で、安田講堂はじめ大変な激動の中でした。当時は学生が海外に出るというチャンスも滅多となく、アフリカ探検をしてみたいと考えていた私は、女人禁制を押し切って京大探検部に入りました。

そうして3回生の時に向かったアフリカでは、「未開といわれる場所で人間力は全開」でした。子どもも女性も一人の人間としての力を持っていることに感激しました。

大学を卒業して、アフリカの問題も含めて南北問題を研究するためにアメリカに留学することになりました。新婚の夫と一緒でした。アメリカは文明的にみるとアフリカと比較して最極端の違いです。大量生産、大量消費、大量廃棄の暮らしを見て、「これは地球がもたない」と思いました。自然と仲良く暮らす社会を実現するにはどうしたらよいだろう…と指導教員に相談すると、「ユキコ、日本に帰りなさい。人々が長い間何千年と農業文明を発達させ、明治から近代化により文明を作り上げた日本で、農村社会の仕組みなり、歴史の発展を勉強することがあなたの仕事だ」と言われ、日本に帰り、大好きだった滋賀県の農村調査を始めました。

大学院の博士課程を終わった時に、当時の武村正義知事が、琵琶湖研究所を作るというので、自ら手を挙げ準備室に入りました。以後研究計画を立て、研究所員を経て、その後琵琶湖博物館で主に研究をしながら琵琶湖環境と社会のかかわりの仕組みについて提案したのが、80年代から90年代です。

家族的には75年にアメリカで長男を授かり、79年に次男を授かりましたが、保育園が無く、子どももいて一人前に仕事もしながらきちんと社会に参加をする仕組みがどうしたら作れるだろうと考えるようになりました。また、琵琶湖の環境悪化を目の前にして、生態系の保全等、琵琶湖に住まう生き物や、社会の意思決定の中枢から外れている弱者の発言をどう確保できるだろうと多くの政治的課題を感じるようになりました。日本社会が制度疲労を起こしています。

<日本社会の制度疲労>

一つ目の課題は、「行き過ぎた近代化」です。マックス・ウェーバーの指摘する通り、近代官僚制度というのは必要ですが、しかし行き過ぎた時に人々の暮らしも命も疎外されてします。どこか自分たちとは関わらない遠い世界からの圧力で暮らしや自分たちの足元の仕組みが作られていく、戦後は地方自治といいながらそれも育っていない現場を見てきました。

昭和51年、滋賀県職員になった年には、高度経済成長に合わせて水資源開発する「琵琶湖総合開発」により、琵琶湖は多目的ダム化がなされていました。河川の改修一つ、農業のほ場整備一つ、少し生き物に配慮したらいいのにと言えば、「お前は運動するのか」と返され、研究者としては発言が不自由でした。

水も美しくて、そこに農業も成り立っている。例えば今は長浜市の高月では、千年前の十一面観音さんが今でも地域の住民の人たちに守られて宗教も地域共同体の中で活かされながら維持されてきました。そうした地域社会も、400万年もの歴史と独自に進化してきた琵琶湖の生態系も損なわれ、琵琶湖が利水、治水という行政管理の対象だけになっていきました。もっと心や自然の豊かさにベクトルを変えたいという問題です。

二つ目の課題は借金だらけの財政、次世代へのつけ回しです。琵琶湖の現場の開発のプロセスをずっと見てきました。河川改修はかつて自助共助、地域のことは地域でという仕組みが成り立ってきていました。そこに行政の予算が入ると一方で歓迎され、一級河川化されれば県や国がやってくれる。その上、上流にダムまで作ってくれる。次の世代への借金、世代間公平と称して起債によって、「1億円の金があったら20億円の仕事ができます」と借金を重ねる。

でも、現実には、「河川改修にしますか」「ダムにしますか」と次の世代に尋ねていないのです。勝手に今の世代が「喜ぶはず」と言って巨大ダムを建設して、借金を先送りする構造を、30年間琵琶湖で見てきて、「高コスト体質」に疑問を感じました。ダムを作ってもらう方が、県にとっては国に沢山補助金を要求することが出来るとか、目の前の人たちを政治的に納得させることで、目の前で票をもらったら選挙を闘える。いわば政治の集票装置です。一つの典型が新幹線の新駅で、ここはちょっと我慢をして、例えば教育や福祉に…という事が成り立たなくなっていました。

三つ目の課題は子どもが生まれにくい、育ちにくいこと。日本では平成元年に1.57ショックを迎えました。同様に出生率の落ち込んでいた北欧やフランスでは子育て支援政策が進み、フランスでは1.89にまで回復しました。子どもを産んでも、しっかり仕事を続ける事ができるというのが今のフランス女性です。女性が子産み、子育てと仕事を両立できるようにならないと出生率は回復しません。日本は、20年も遅れています。

四つ目は地域主権不足です。地域の事が政治に届いていない。たとえば、琵琶湖が悲鳴を上げているのに、明治以降から変わらず県は国に「おんぶにだっこ」で自律的な地域政策ができていないこと。「地方としての意志を示さなければならない」。私自身、地域のフィールドワークをして、琵琶湖研究で琵琶湖博物館も作るときも数千人の人からの聞き取りを博物館の中に取り入れてきた中で、いろんな人たちの声が聞こえます。『税金の無駄遣い、もったいない』『新幹線も京都まで10分15分で行けるなら京都駅をつこうたらええがな』『それよりうちは孫が生まれない、結婚できない。子どもが生まれなければ、いくら駅をつくっても乗る人がいないだろう。まずは子どもを増やしてほしい』その声は、知事に届いていません。

栗東の新駅を作ったら地域間競争に勝てて、滋賀県が産業的には大変有利だ、と240億円の駅の計画を立てます。でも、一般の人たちはおかしいと思っている。そのおかしいと思っている声が知事に届いていない。ダムも、ダムが欲しいのではない。地域振興が欲しい。だったら直接地域振興にお金を出したらいいのに手段と目的がずれてしまっている。

合い言葉としては「もったいない」という暮らし言葉をひろげました。これ以上「税金の無駄遣い、もったいない」。二つ目は「自然の恵み、壊したらもったいない」。三つ目は、「子供や若者の自ら育つ力、損なったらもったいない」。もったいないとは、もともと「ありがたい」、ということです。英語にならない表現です。Valuable、Savingだけでもない。Pity to lose ,the respect of peopleなど、仏教的な背景をもっていて意味は深いです。選挙で「もったいない」を使った時に、ワンガリマンタイさんの真似をしたのか、と言われましたが、私自身は30年以上前から滋賀の地域を歩きながら、「もったいない」が日本の生活哲学を作ってきた、とずっと考えていたことの、エッセンスです。

今から思うとこういう日常の生活用語を使う、政策の訴えってそれまであまりありませんでした。現職は自分が県職員やっていた時の知事であり、私は部下でした。現職は「持続的社会づくり」という言い方をしました。それでは普通の人に届かないのです。「もったいない」、の方が届いた。

<マニフェスト型選挙で政治家に>

2006年の一期目の選挙の時は、琵琶湖博物館の研究顧問をしながら大学の教員をしていました。選挙には「三ばん」が必要といわれます。そのいずれもない。「地盤」「かばん」「看板」いずれもない無い研究者です。「泡沫候補」と言われている中で私自身が訴えたのは、『本当にこのまま借金を積み重ねていいの、次の世代につけ回しも見直そうよ。子どもがちゃんと生まれる社会にしようよ、そして琵琶湖の環境を次の世代にもうこんな壊したまんま渡せないでしょう』という三つのもったいないでした。ちゃんと考えてくれる人に一票を入れようという、一人一人の「鉛筆一本の勇気」によって、2006年の7月、滋賀県知事選挙では結果が決まりました。

選挙で約束してしかもマニフェスト型選挙をやったら政策は当然そっちへ行くと思うのですが、甘かったのです。最初から議会は大荒れでした。「お前に投票したやつは愚民だ」「ダム止めて、お前に命が守れるのか」と県議会で野次が飛びました。県会議員47人のうち、私を支持してくれた方は3人だけ。しかし「嘉田さんに一票入れたんだから」と傍聴席は満席でした。しかし議会は一向に変わらない。私は県民の皆さんと約束した政策を実現するには、もう議会が変わるしかないと思いました。2007年4月に県議会議員選挙が行われ、仲間がローカル政党を作ってくれました。「対話の会」というローカル政党で、19人の推薦をして、12人が当選し、それ以降ようやく議会の動きが少し変わってきました。当時の最大会派政党は、代表質問を県庁の部局の中から職員に提案してもらうなど、強い支配力がありましたが、それが過半数以下になりました。また、私が就任しても「知事は4年だろう。僕らは30年。僕らの後ろに居る霞ヶ関は100年」。という姿勢で、実は知事というのは今までのずっと護送船団の流れの上に居たら、本当に権力を行使出来て、自分の思うように予算も人事も動かせるのですが、その流れに棹を差そうとすると、徹底的に抗戦されます。

私には政治的、政党的なバックがありません。二期目のこの7月にも、マニフェストをつくって、選挙で提示しました。県民との「膝詰め談判」のような「茶話会」を21か所1600人の皆さんと開催をして、お話しを聞きました。それを基に2期目、県民参加のマニフェストづくりをしてきました。2010年の7月11日の選挙では幸いにも県政史上最大得票という42万票近くを得ました。

私が政治を目指した後ろの家庭的な背景というのは、おばあちゃんになったことも大きいです。今、4人の孫がいます。小学校6年、2年、5歳、0歳です。私自身、子育てと仕事の両立に苦労をしました。その子どもが次の子どもを産んでくれたら、後は、私は好きなことが出来る。好きなことというのが「政治で社会を変える」ことでした。研究者としてどんなに本を書いて訴えても、論文書いて訴えても社会は変わらない。孫の顔を見ながら「未来にツケを残してはいけない」「琵琶湖をこれ以上壊してはいけない」「子どもが生まれ育つ社会にしないと」と、孫たちに背中を押されるように次の基本構想の仕組みづくりをしました。

2006年から2010年にかけて、最初のマニフェストでお約束した新幹線新駅、ダム、そして廃棄物処分場などの大型公共事業を職員の頑張りもあって、ようやく4年間で止められるものは止めました。次こそ本当に子育て、若い人たちの仕事づくり、それから環境という事を本気でやりたいと思って2期目に入りました。県政の世論調査やヒアリングで、一番今最大に出てくる声が仕事と雇用と経済の問題です。一生懸命勉強してきて若い人たちに仕事が無いというのは、あってはならないことです。社会で育ててくれたところに恩返しをするという普通の生活が、出来なくなっている。また、環境問題は直接表に出てきませんが、地球環境が破壊されているのに、フリーライダーになってはいけないというのが私の意志でもあります。

<8つの扉で、滋賀県の未来を拓く>

二期目のマニフェストを実現するために、8つの重点施策をつくりました。それを実現するための手法としては、過去4年間の経験の中から4つの戦術をとっています。
一つは、市町とともに地域主権社会を担う存在感ある県政経営。「何故」も「べき」も議論しながら積み上げていく。それが地域主権改革です。

2つ目に県民から信頼される県政経営です。アンケートでも行政と政治は信頼されていません。行政と政治が信頼されていなかったら、そもそも増税なんてありえません。高コスト体質の中をどうやってギリギリ安くしながら最小の費用で最大の効果をあげるか、受益と負担の関わりを見えやすくするという工夫をします。

3つ目に滋賀の存在感について。例えば東京は琵琶湖を模して造られています。東大の近くの不忍池は、もとは琵琶湖です。不忍池の真ん中の弁天島は、竹生島です。天海という都市プランナーが家康、秀忠、家光に仕え、江戸のまちづくりをしたときの名残なのです。滋賀県民が言わなかったら誰も言ってくれないですから、例えばそうやって滋賀の存在感をもっともっと高めます。

4つめが活力ある県政経営です。下手な補助金は使ない方が自分たちのやれることが出来るのです。

次に具体的な政策として、8つの戦略を紹介します。

最初のみっつは、「人生の応援団」です。まず一つ目は「子育て/子育ち」支援。保育園や学童保育があったらもっともっと仕事をしたいという女性が沢山います。滋賀県では仕事している方で子どもさんが生まれて辞める方が7割います。全国的には6割ですからそれより多い。社会全体で「子育て三方よし」(子によし、親によし、世間によし)とすることで、活力が次の世代に繋がります。自治体として大事な仕事は保育園ですが、運営の直接は市町など、基礎自治体です。県は、例えば保母さんの人材の確保や運営する上での補助金づくり、特別支援、虐待防止など、より専門化されたところを強化します。

二つ目は「働く場への橋架け」です。望む人たちには仕事の場をきちんと準備し、家庭に閉じ込められている女性たちにはきっちりと働く場に支援します。世界の高校生に「何故あなたは高校で勉強しているんですか」と問えば、ノルウェーなどでは8割から9割あたりが「将来の仕事のため」と言います。しかし日本で「将来の仕事のため」という高校生は2割とか。アメリカでも6割なのです。自分が学び教育されていること、―親はそこにすごい投資をしていますが―将来に繋げる意識があまりに弱いのです。その意味で自分の一生を見据えたキャリア教育が必要です。

また若者の就業支援。湯浅誠さんの「ワンストップ・サービス」ではないですが、国の出先のハローワークで出来ないことが自治体ならできます。つまり滋賀県は職場、特に産業界の情報を実際は持っています。日常的に経営どうするかとか新しい技術どうするかとか、県はかなり太いパイプがあります。一方で、若い人たちに確実に個人の力を活かして自己PRをしてもらう。中小企業からは、いわば求人ニーズを潜在的なところで引きずり出してもらい、仕事を求める若い人たちに繋いでいくという事業を今年から始め、成功しています。

三つ目は地域を支える医療福祉です。超高齢化社会で、いかに幸せに死ぬか。本人の望まない高度医療の中で、自宅で最期を迎えたいという人が多くなっています。在宅看取りというのを県として医療政策として支援します。

次のふたつは環境政策です。

四つ目が琵琶湖と温暖化の問題です。琵琶湖は、日本一面積が広いだけでなく、深い湖です。夏の間は上が暖かくて、下が冷たいため底に栄養分が流れ込み、ヘドロが溜まって、酸素が無くなっていき、これを冬場、表層の冷やされた水は湖底にもぐりこんで酸素供給をします。これを「全循環」といい、全体が大きな息をしています。ところが、2007年1.5度平均気温が上がっただけなのに、無酸素に近い状態になり、底の方に住んでいる魚やエビが死体で見つかったのです。つまり温暖化の影響は、太平洋や大西洋、大きな水の塊にはそんなにすぐには出ないけれど、琵琶湖のような小さいところには出てしまうのです。

温暖化対策として、滋賀では「2030年CO2半減計画」を作っています。脱石油ムーブメント―東京都は真っ先に自治体の中でキャップを張ってやり始めていますが―滋賀の場合、キャップはそれぞれの企業で考えてもらい自主性にまかせながら、一種の認証制度によって、内在的な環境技術の開発や環境配慮製品の評価等を温暖化対策とセットでやっていこうとしています。また、環境税を県として提案します。このままでは地球上で何百兆円という被害が発生するのでそれを未然に防ぐための政策です。

環境政策は未来産業であり、決して単にコストがかかるだけでありません。太陽光のパネル工場の八割、リチウムイオン電池の七割は関西に集中し、そのうち滋賀県にかなりあります。関西広域連合の中で環境政策と、それから産業政策を裏表でやっていきます。新幹線新駅計画を止めた後の区画整備の土地に、電気自動車用の電池工場を誘致し、税金を入れずに民間企業が400億円を入れ、800人の雇用を創り出していただく。ジーエス・ユアサという工場誘致に成功したことは問題解決の大きな一歩です。お金で引っ張ってくるのではなくて、ジーエスさんの場合には私は環境政策、2030年温暖化対策やりますから、そういうところから政策的に支援をさせて下さいということで誘致しました。

5点目の琵琶湖政策、6点目、7点目の産業政策も強化しますが、時間がないので、ここは省略します。

最後に、8点目の「命と暮らしを守る安全・安心プロジェクト」です。ダムの場合、全部完成しないと効果はゼロなのです。ゼロか100か。

それに対して、河川改修とか堤防改修は、今年1億円、今年2億円という形に少しずつ効果を挙げることが出来ます。たとえば、滋賀県内南部で計画されていた大戸川ダムはダムで1000億円、河川改修だったらほぼ同じ効果で37億円という試算を出しました。下流の京都、大阪で負担金を出してもらうことになっていました。ダムの負担金は地元の滋賀は少なく11億円で済みます。京都、大阪に対して、本当に必要性の低い、高価格のこのダムを建設して、説明がつくのでしょうか。国の技術計算を改めて県の職員にやってもらうと、国がどうしても必要だというところに「まやかしの数値」が入っていました。私も技術者と同じくらい議論が出来ますから、最終的に、国も必要性は低い、いったん凍結というところまで持っていきました。大戸川ダムに1000億円入れても、琵琶湖そのものがすごい自然の貯水池ですから、大戸川の2000万トンの水量も、琵琶湖の水位にして3センチです。そしたら琵琶湖の3センチでちゃんと抑えましょうよというのが、今上下流で一緒に議論しているところです。

<関西広域連合?政治は未来をつくるもの>

国の組織の中でも部局は縦割りになっていますが、全部一緒に判断できるのは、地方自治体です。今は国の出先の整備局がダムや道路など大型公共事業の計画を作ることになり、それに都道府県は意見を出すだけということになっています。これから近畿でやろうとしている流域自治というのは、そもそも計画を市町と府県で一緒に作り、国はそこに意見を言っていく。主体性を変えようという風に言っています。これが関西広域連合の一つの目的です。

府県内に閉じるのが府県の権限移譲で、府県を超えるところは受け皿がないじゃないか、とずっと国交省から言われてきました。それに対して近畿は、「じゃあ受け皿作りましょう」というのが関西広域連合で、11月1日に総務大臣に申請し、全国で初めての府県を超える広域連合ができる予定です。これまで枠の中の地方自治、戦前の都道府県は文字通り国の出先機関でした。戦後は一応アメリカの民主主義を形式的には入れています。しかし民選知事の権力を規制・制限する手段が三つつくられました。一つは出先機関、二つ目は機関委任事務、三つ目は、補助金システムです。今でも基本的には地域主権改革以降も変わっていないというのが私の4年間の知事としての経験です。これからの地域主権の覚悟、地域の事は地域で決める。もちろん責任ももつ。その時の地域は現場に即して現場のニーズをどれだけ確実にくみ上げながら、しかも現場のニーズというのは生活者視点からみて総合行政なのです。総合行政は出来るか出来ないかしかない。やるかやらないか、でしかないと思っています。

2期目に入って、県庁内も動きやすくなりました。いろんな情報がかなり正直に上がってくるようになりました。自分が裸の王様にならないように未来に向けて、政治をしていきます。今どういう政策を打つかということが20年後30年後に深く影響します。まさに「政治は未来をつくるものですので、ぜひ皆さん政治の世界に対して夢を持って挑戦をしていただきたいと思います。特に女性の皆さんに、政治を目指していただきたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。

関連項目