院長メッセージ

公共政策大学院における政策分析

2009年4月

金本良嗣院長 東京大学公共政策大学院 院長 金本良嗣

公共政策大学院における教育の大きな柱の一つが、「政策分析」です。これは英語では Policy Analysis と呼ばれ、海外の公共政策大学院の多くでカリキュラムのコアを形成しています。

教育で使われるだけでなく、米国で、Policy Development(政策形成)と呼ばれている「政策の事前評価」やRegulatory Impact Analysis(英国ではRegulatory Impact Assessment、ヨーロッパ委員会では単にImpact Assessment)と呼ばれている「規制評価」等において、政策実務の世界でも用いられています。

大学やシンクタンクにおける政策研究においても、我々が教えている政策分析の方法論は有益です。タイミング良く、昨年度に、「政策形成の知的リソースを提供し、政策の選択肢を提示」する東京大学政策ビジョン研究センターが発足しましたが、その活動にも役立つはずです。

さらに、小宮山宏前総長が提唱してこられた「知の構造化」においても、政策分析の枠組みが現実の政策課題に対応した「知の構造化」の方法論を提供します。これまで人類が積み重ねてきた知的資産は膨大ですので、それを静的(スタティック)な形で整理、分類、構造化しても、労力の割に有効ではありません。「政策分析」は、現実の政策課題に対応して、膨大な知的資産をシステマティックに動員していくダイナミックな枠組みです。

政策分析とアカデミックな研究

政策分析は現実の課題に対して解決策を見つけようとするものであり、アカデミックな研究とは似て非なるものです。たとえば、アカデミックな研究では、現実への適合性(relevance)よりは分析のきれいさや独創性が重要視されます。これに対して、政策分析は現実への適合性が重要で、分析のきれいさは二の次です。理論的に一般的な答えを出すことは難しく、数値シミュレーション等によって結論を出さざるを得ないことが多いのが現実です。また、データの制約によって厳密な統計的推定が不可能なことが多く、パラメータの設定について、過去の研究例等の多様な情報を援用するカリブレーション・アプローチも頻繁に用いられます。さらに、分析手法の選択においては、有効で信頼性の高い手法を選択することが第一であり、分析手法の独創性・新規性は重視されません。

政策分析の流れ

政策分析の流れは、(1)問題とそれをもたらす因果関係を明らかにする、(2)政策代替案を設計し、各政策代替案の効果と影響(インパクト)を予測して、その評価を行う、(3)政策提言をまとめ、それを意思決定者、利害関係者、一般国民等にコミュニケートするといったものであり、右図のように整理することができます。

政策分析においては、現状の問題点を理解して、政策課題を抽出し、それを明確に定式化するという「問題の理解」のステップが極めて重要です。問題の把握においては、現在現れている「症状」を調査し、その重要性を評価するのが最初になります。しかしながら、単なる「症状」の認識だけでは適切な政策形成にはつながりません。その病状をもたらしている因果関係を把握し、公的介入によって変化させることができる政策変数と症状の間の関係を定式化する必要があります。

問題をきちんと理解した上で、政策代替案を構築して、それらの分析・評価を行います。この部分は以下の4つの主要ステップからなります。
[1] 政策代替案を設定
[2] 各代替案についての政策インパクト(効果・影響)を予測
[3] 政策インパクト(効果・影響)を評価
[4] 評価結果の信頼性に関する感度分析
もちろん、政策分析は単線的に進むものではありません。解決策分析を行っているときに、新たな問題に気づき、問題分析をやり直して、政策代替案を設計し直さなければならないことも多くあります。

次に、政策分析の各ステップをより詳細に見ていきましょう。

(1)問題の理解

政策分析が必要になるのは、現状に何らかの問題があり、改善策を考える必要があるからです。したがって、政策分析は現状の問題点を調べることから始まります。問題を明確に理解することが、解決のための「政策」を構想するための大前提となります。多くの場合に、最初にわかるのは問題の症状だけです。症状に短絡的に対応する政策が採用されがちですが、こういった対症療法は解決策にならないばかりか、新たな弊害をもたらすことになります。問題がどういう原因によって発生しているのかを把握して、その原因に対して有効な政策を打つ必要があります。

また、原因が市場の失敗によるのか、政府の失敗によるのかといったことも検討する必要があります。市場の失敗によるものであれば、政府が何らかの手当をすることを真剣に考える必要がありますが、政府の失敗によるものであれば、既存の政府介入を改廃することをまず考えなければなりません。もちろん、政府も市場も不完全ですので、実際にどういう対応をとるべきかは、問題ごとの詳細な検討が必要です。政策分析の出番になります。

上の図のように、問題の理解のためには、[1]様々なデータや証拠・資料の収集、政策の歴史や経緯の調査、利害関係者の主張や政治力学の調査等を行って症状を評価することと、[2]因果関係を理解するために問題の構造をモデル化することが必要です。これには、定量的なモデルに加えて、ロジック・モデルといわれているような定性的な枠組みも含まれます。この段階で政策の成否が決まるといって良いぐらい、重要なステップです。公共政策大学院での事例研究で実際の政策課題についての研究を学生諸君に行ってもらっていますが、この段階がもっとも難しく、試行錯誤や様々な関係者との議論を積み重ねながら、学生諸君が深く悩むところです。

(2)政策代替案の設計

問題の構造が理解できれば、解決策を設計することになります。解決策を考えるためには、まず、それが目標とすべきものは何かということと、何を変えることができ、何が動かせない制約であるのかを把握しなければなりません。つまり、目標と制約の設定を行うことになります。制約には、技術面での制約のように客観的に分かるものもありますが、社会的な受容性や政治的な実現可能性のように判断が難しいものもあります。

これらの検討の結果として、解決策としての政策代替案が設計できた段階で、やっと具体的な政策分析に取りかかることになります。これらの政策代替案がどういう効果をもたらすかを予測し、それが、社会的に望ましいものであるかどうかを評価するというのが政策分析の主要部分になります。

政策の評価を行うには少なくとも2つの代替案を設定し、それらを比較する必要があります。新しい政策と現状維持ケースとの2つを設定することが多いですが、複数の代替案を比較検討することが望ましいといえます。新しい政策を事後、現状維持を事前と呼ぶことがありますが、これは厳密には間違いです。いずれも、これからの未来を予測するもので、新しい政策を採用すると将来どうなるか、現状維持のままだと将来どうなるかの2つを予測して、比較します。新規政策を採用するケースとしないケースということで、WithケースとWithoutケースと呼ばれます。

(3)政策インパクトの予測と評価

政策代替案が決まると、それらについて、[1]政策インパクト(効果・影響)を予測し、[2]それらのインパクト(効果・影響)の社会的価値を評価します。また、[3]予測結果や評価結果がどの程度の信頼性をもつかに関する検討を行う感度分析も必須です。これらの各ステップの詳細は以下になります。

政策インパクトの予測

政策は国民の活動に対して様々な効果や影響をもたらし、それらを通じて便益や費用を発生させます。たとえば、道路投資プロジェクトは、渋滞を緩和したり、高速走行を可能にしたりすることによって、利用者の時間や走行経費(ガソリン代等)の低下をもたらします。同時に、地球温暖化ガス(二酸化炭素等)や大気汚染物質(窒素酸化物、粒子状浮遊物質等)の排出量を変化させます。さらに、交通事故の減少もありえます。もちろん、道路投資のためには、コストがかかりますので、これも考慮に入れる必要があります。

政策評価において、インパクトの予測の部分に通常は最も多くの資源が必要です。たとえば、道路投資の評価においては、プロジェクトを実施したときとしなかったときの双方について、交通需要を予測しなければなりません。交通需要を予測すると、次に、利用者の時間費用や走行費用がどう変化するかを推計する必要があります。また、交通事故がどの程度減少するか、大気汚染がどの程度減少するかも推計しなければなりません。さらに次のステップで、交通事故の減少が人命をどれだけ救うことになるのか、大気汚染の減少が健康被害をどれだけ減少させるのかを推計しなければなりません。特に、健康・安全・環境といった分野における政策評価のためには、政策がもたらす健康改善効果や環境改善効果を推計することが不可欠です。こういった分野は「規制科学(Regulatory Science)」と呼ばれており、欧米諸国では盛んに研究が行われるようになってきていますが、日本での研究はまだ不十分な状態です。

政策インパクトの評価

政策のインパクトが予測できたら、その社会的な価値を評価します。実務で多く使われるのは、社会的便益と社会的費用を貨幣換算する費用便益分析です。上であげた道路投資の例では、道路利用者の時間節約、死亡事故や傷害事故の社会的費用、大気汚染による健康被害の費用等を、貨幣単位で計測するということが行われています。

費用便益分析が多く用いられている最大の理由は、貨幣価値で計算するとわかりやすいということです。経済学を学んでいない人々は、環境や安全のような通常の経済的活動でないものは貨幣換算できないという誤解をもちがちです。しかし、個人が合理的であれば、各人にとっての主観的な価値(満足度)を貨幣単位で計測することができるということが古くから知られています。したがって、合理性の仮定が近似的に満たされていれば、費用便益分析の適用が可能です。

ただし、便益の推計値に大きな不確実性がある場合には、便益を貨幣換算せず、一定の効果を発生させるために必要な社会的費用を比較する費用効果分析が用いられます。たとえば、健康や安全に関する政策の評価においては、救われる人命の価値を計算せず、一人の人命を救うために、どれだけの費用がかかるかといった形での評価を行うことがあります。また、費用効果分析をより複雑な問題に適用可能なように拡張した費用効用分析や、定量的な推計をせず、定性的な評価にとどめた定性的費用便益分析も用いられます。

経済学的な便益評価は、人々の選好(嗜好あるいは価値観)が一定であり変化しないことが前提です。政策が選好に影響する場合や、選好を政策によって変化させたい場合には、有効ではありません。こういった場合には、社会学、心理学、人類学、あるいは、最近になって研究が進んでいる行動経済学や経済心理学を活用するといったこともありえます。

感度分析

政策評価においては、大きな不確実性が避けられません。政策インパクトの予測においても、その評価においても、大胆な想定をせざるを得ないことが多く、百パーセント正しいということはあり得ません。それどころか、数割の誤差があるのは普通で、場合によっては、一桁や二桁といったバラツキがあります。これらの不確実性を扱う方法の一つが感度分析です。たとえば、交通需要予測の不確実性については、交通需要が下ブレしたときと上ブレしたときの2つについての推計値を付け加えることによって、評価結果の不確実性に関する理解を助けることができます。こういった感度分析は、需要予測等の政策効果の予測、貨幣価値換算の原単位、推計モデルの現実妥当性等のうちで、重要なものについて行う必要があります。たとえば、アメリカの交通省は、通勤やレジャー等の非業務の時間価値が、短距離の交通について賃金の50%であるとしていますが、これには大きな不確実性があるので、下位値35%と上位値60%の感度分析を推奨しています。

日本では感度分析と称して需要が予測より1割増加するといったケースの計算を行って並べるだけの事が多いですが、感度分析の目的は推計値の不確実性を把握することであり、こういった機械的な計算にはほとんど意味がありません。パラメータの値やモデルの構造等の様々な前提条件について、それらの不確実性の程度を評価して、それらが評価結果をどの程度左右するかを分析しなければなりません。

感度分析の最も単純な方法は、パラメータ等について、最も確からしい中位値に加えて、それを超える可能性がほとんどない高位値と、逆にそれより低くなる可能性が小さい低位値を設定し、これらの3つのケースそれぞれについての推計を行うことです。もう少し複雑な方法としては、各種のパラメータを同時に変化させたときの最善ケースと最悪ケースを計算する最悪・最善分析(Worst- and Best-Case Analysis)やモンテカルロ・シミュレーションによって推計値の確率分布を計算するモンテカルロ感度分析があります。

(4)政策提言のとりまとめとコミュニケーション

政策分析は実際の政策選択に役立てることが目的です。したがって、政策選択を行う意思決定者やそれに関与する利害関係者等に対するコミュニケーションが有効になされなければなりません。政策分析レポートや政策提言のとりまとめにおいては、この面での配慮がきわめて重要です。政策分析の教科書では以下の点が強調されています。
[1] 政策提言は政策分析における政策代替案の評価から導かれなければならない。
[2] 提案する政策の長所と短所を簡潔にまとめなければならない。
[3] 政策分析結果の不確実性を隠してはならない。
[4] 政策提言は具体的な実施方法まで踏み込まなければならない。
[5] 政策分析を読む人たちは忙しく、分析手法の細かい内容には興味がないので、提案する政策の内容、その長所と短所、及び、政策分析において結論を左右する重要な要素を簡潔に説明するエグゼクティブ・サマリーが必要である。

ダイナミックな「知の構造化」プロセスとしての政策分析

これまで見たように、政策分析の構造は極めてシンプルで汎用性があります。現状の問題を理解した上で、それを解決するための政策代替案を設計し、各政策代替案のもたらす効果・影響を予測、評価して、政策提言をまとめるというものです。この構造の中に、これまで人類が蓄積してきた様々な分野における知的資産を最も有効な形で動員していくのが、ダイナミックな「知の構造化」プロセスとなります。

政策インパクトを予測するところでは、特に、自然科学、医学、工学等の活用が重要です。たとえば、道路投資といった相対的にシンプルな構造をもつ政策についても、
[1] 道路の設計、建設:土壌、コンクリート、橋梁、トンネル等に関する土木工学
[2] 交通需要予測:交通工学
[3] 大気汚染:大気汚染物質の拡散に関する大気拡散シミュレーション、健康被害に関する医学、疫学
[4] 地球温暖化ガス:気象学
といったものが必要になります。どういう分野の科学的知見が必要になるかは、政策分野によって様々ですので、直面する具体的な政策課題に対応して、適切に組み合わせることが必要になります。また、日本では、政策分析に使うための研究が進んでいない分野が多く、各分野の研究者を動員して新たな研究を推進するために、研究助成や研究組織化の仕組み作りが求められるところです。

政策インパクトの評価においては、経済学の活用に加えて、健康被害の社会的費用の推計等において医学や他の科学分野の活用が必要になります。また、すでに述べたように、個人の選好(好み、価値観)が変化する場合には、社会学、心理学、人類学、あるいは、最近になって研究が進んでいる行動経済学や経済心理学を使うといったこともあります。

さらに、政策提言をとりまとめる際には、政策インパクトの評価に加えて、政治的な合意形成の可能性を考える必要があり、政治学の理解が必要になります。また、具体的な法制度設計においては、法律学、法と経済学等の学問分野も必要です。

以上のように、政策分析では、社会科学、自然科学、工学、医学等の広範な学問分野の成果を総動員することになります。東京大学のような総合大学は、この面において大きな優位性をもっており、政策分析の担い手になるべき存在であるといえます。

参考文献

海外の公共政策大学院で多く使われている政策分析の教科書は
Weimer, David L. and Aidan R. Vining. Policy Analysis: Concepts and Practice. 4th ed., Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ, 2004.
です。この教科書は、経済学だけでなく幅広い立場から政策分析を総合的にとらえており、経済学未習者にとっても入りやすい内容になっています。

政策評価に用いる費用便益分析については、
Boardman, Anthony E., David H. Greenberg, Aidan R. Vining, and David L. Weimer. Cost-Benefit Analysis: Concepts and Practice. 3rd ed., Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ, 2006.
が広く用いられている教科書で、具体例も豊富です。2版の邦訳(『費用便益分析−公共プロジェクトの評価手法の理論と実践』岸本光永監訳、ピアソン・エデュケーション、2004年)がありますが、3版で改善された章が多いので注意が必要です。また、3版英語版のアジア地域パーパーバック版は安価で、5000円台程度で買えるはずです。これについては、買うことができる書店が限られていますので、大学生協等にコンタクトして下さい。

日本での常識とは異なり、アメリカでは、費用便益分析が実務的に便利であるということで幅広く用いられるようになっています。費用便益分析の有用性について、経済学者のみならず、哲学者や法学者が議論している以下の本は、費用便益分析を政策立案の現場で用いる際の参考になります。この本の最後のRichard Posner判事によるまとめが秀逸です。
Adler, M.D. and E.A. Posner, Cost-Benefit Analysis - Legal, Economic, and Philosophical Perspectives, University of Chicago Press, 2000.

合理的な政策形成が難しいリスク規制に関して、合理的な政策対応をするためには、包括的な費用便益分析が必要であると、アメリカの行政法学者のSunstein氏は以下の本で主張しております。
Sunstein, C.R., Risk and Reason - Safety, Law, and the Environment, Cambridge University Press, 2002.

手前味噌で恐縮ですが、
金本良嗣・蓮池勝人・藤原徹『政策評価ミクロモデル』東洋経済新報社、2006。
は、政策分析に用いる小規模ミクロモデルを具体例を用いながら解説しています.

アメリカでは1970年代頃から、福祉政策、住宅政策等の社会政策を主たる対象としてプログラム評価が行われてきています。以下の本は、プロセス評価を主体とするプログラム評価を解説しています。
Weiss, Carol H., Evaluation: Methods for Studying Programs and Policies, 2nd ed., Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ, 1998.

公共政策大学院の学生諸君が様々な政策課題について政策分析を行い、政策分析レポートをまとめています。それらは、公共政策大学院のウェブページに公開されています。ポリシーリサーチペーパーシリーズと、学生の教育研究成果のページをごらんいただければ幸いです。後者のページでは、「公共政策の経済評価」と「事例研究(ミクロ経済政策)」にあるものの多くが、政策分析の例になっています。

関連項目

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