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東京大学公共政策大学院 | GraSPP / Graduate School of Public Policy | The university of Tokyo

学生レポート

学生レポート

アウトサイダーの視点

Momoko Tsuchiya

初めて韓国の地を踏んだわたしは、街の看板がすべてハングル表記であることや、食事に必ずキムチが出てくることなどにいちいち驚嘆の声をあげていた。人々が何を考え、何を食べ、どのように生活しているのか。ひとつひとつが新鮮な体験だった。

そのような刺激の強い外国での生活も、慣れると日常そのものになる。 当時の日記を開いて思いだすのは、キャンパスがある丘の稜線や、よく揺れるバスや、夕焼け空にとけこむ飛行機や、仲間と飲んだ帰りにタクシーから見た漢江の夜景や、初雪のざりざりした白さや、授業の合間に飲むコーヒーの湯気や、そんな諸々の風景だ。

韓国は地理的にもとても近い国だし、テレビや雑誌やインターネットを通してずいぶん色々な情報を得られるようになった。良くも悪くも、メディアを通して韓国の政治や文化について様々なイメージが構築されている。だから私たちは韓国について「知っている」つもりになっているところがある。実際に韓国に身を置いて生活することで、旅立つ前に抱いていた思い込みは少しずつ崩れていき、新しい輪郭を現していった。フィルターを通さずに見るそれは、生き生きとした実体を持っていた。

もちろん授業も実りの多いものだった。 わたしは市民社会論や日本政治学に関する授業を3つ受講した。文献講読やプレゼンテーションを学生に課すタイプの授業が多く、予習はそれなりにハードであったが、教授も学生もみな熱心で、授業に参加しているという充実感があった。 履修した授業はいずれも日本の政治・社会に関連するものだったので、「日本からの留学生」であるわたしは意見を求められることが多かった。発言の機会を与えられることは嬉しかったが、知識や英語力が足りずにしどろもどろになってしまうことも少なくなかった。 たとえば「日本とイギリスは似ていると思うか」という質問に対し、「お茶を飲むところが似ていると思います」と答えて失笑を買ったこともあった。(たぶん、大陸の政治との距離感について質問されたのだった。)さすがに自分の無知を不甲斐なく感じ、時間を見つけては図書館で本を読みあさった。GSISの図書館は、日本語の文献や社会科学の各分野の学術誌も充実していた。一日遅れで配達される日本の新聞を読むことも日課になった。

また、正規の授業以外にも、「ラウンドテーブル」という、学生が企画している昼食会がある。お昼休みに有志で集まり、ピザやお弁当を食べながら、その日のトピックについて語り合うという勉強会だった。日本に関心のある学生で集まる会では、日本語で議論を行うのだが、韓国の学生たちの語学力には脱帽した。「日韓の若者の恋愛観」のようなソフトな話題で盛り上がることもあったし、原発事故の風評被害をどう思うか、今回の衆院選をどう分析するか、など日本が直面している課題について熱い議論が交わされることもあった。 ソウルではたくさんの友人との出会いがあった。食堂で他愛もない話をしたり、時には真剣な議論をしたりすることで、相手が何を感じ何を考えているのか想像することができるようになった。

留学で得た最たるものは「他者への想像力」である。言い換えれば「アウトサイダーの視点」とも言ってよい。アウトサイダーとは二重の意味の「外部者」である。一つ目は、韓国社会のなかでの外国人としての「外部者」の視点。韓国語の会話も覚束ない状態で渡航したため、途方に暮れることも多々あった。二つ目は、日本社会を外から見る者としての「外部者」の視点である。生まれてからほとんどの時間を日本で過ごしてきて、「当たり前」のものとして見落としがちだったことにも気づくことができた。自分がアウトサイダーとなって初めて、異なるバックグラウンドを持つ外国の人や、社会的なマイノリティに対する「想像力」が働くようになったと思う。

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