「越境者」たちが集う場所
公共管理コース
修了後、たくさんの「越境」をしました。学問分野、組織、国……、こうした様々な「越境」をする勇気と行動力を与えてくれたのがGraSPPでした。このコーナーに掲載されている他先輩方の「声」を拝読しても、たくさんの「越境」の様子が伝わってきたので、私もそうした観点からこれまでを少しだけ振り返りたいと思います。自分のことばかりになってしまい恐縮ですが、以下、一修了生のたわ言として御笑覧ください。
GraSPPでは、公共政策の分野でのテクノロジーの利用について学びました。行政組織でのICT利活用、行政と市民が対話するプラットホーム作り等、様々な実践的なプロジェクトに参加しました。文系・理系という学問の枠を越え、たくさんの人たちと、組織や空間を越え議論するなど、たくさんの越境のその先に、相手との共感や新たな知識の創造があると感じました。
GraSPPでの学びに大きく影響を受け、教育業界という大きな公共分野に身を置き、テクノロジーの可能性を試したいと思いました。そこで教科書会社に入社しました。当時、デジタル教科書是か非かの論争が始まり、教育の世界にテクノロジーがいよいよ本格的に入ってきそうな空気を感じたこと、また100年以上続く老舗企業が変わろうとしている姿を目の当たりにしたことも、入社の大きな動機でした。実際に営業など様々な仕事を経験した後、教育デジタルコンテンツを企画する部署で4年近く過ごし、新商品やサービスを企画開発など様々経験しました。自由にのびのびと働くことができると感じた反面、常に新しいことを考えなければならない、形がないものを形作らねばならない、など不安とプレッシャーの連続でもありました。
そんな中、たくさんの素晴らしい学校の先生方と出会い、仕事をご一緒させて頂き、自分自身の中に教師という職業への憧れが芽生え始めました。もしかしたら、どこかに教師になりたいという思いがずっとあったのかもしれません。そこで、通信制大学で教職課程の履修を始めました。働きながら教師を目指すたくさんの同級生との出会いに刺激されつつ、いよいよ教職のゴールが見え始めた頃には30歳に。「教師になったとしても、新卒でなった人と10年の差ができてしまう……」「そういえば留学したかったな、ずっと……」と考え、迷った末に退職・留学・転職を一気にしてしまおうと決意しました。その後しばらく会社、教職、留学準備、三足のわらじ状態でした。
会社を退職した3日後にはロンドンにいました。恥ずかしながらまとまった海外生活の経験もなく、英語もすっかり忘れてしまった中でいきなり始まった海外生活でした。
希望を胸に、初めての片道切符片手に飛び立ったものの、生活が始まると、三十路過ぎ・無職・私費留学・初めての学問分野・そもそも英語そんなに喋れない上に忘れた……と、不安要素を挙げれば枚挙にいとまがない。しかし、「不安は不安と思うから不安なんだ!」と自分を奮い立たせ、歯を食いしばって研究に励みました。論文が煮詰まると、寮のベッドに横たわり、真っ白な天井を仰ぎ、唸っていました。それでも新しいアイデアなどでる訳でもなく、書くしかない、読むしかない。普段は楽観的な私も遂に追い詰められましたが、周囲に大いに助けてもらいました。そんな状況を、ロンドンでだいぶ苦労したことで有名な夏目漱石に重ね、彼がロンドンについて書いた様々な作品や日記を読み勝手に共感することもありました。なんとか論文は書き終え、あっという間に2度目の修士課程が終わってしまいました。
帰国後数日で、今度は母校の高校で教育実習をしました。今度は10歳以上年が離れた実習生たちに囲まれながら、緊張と冷や汗をロンドンで培った(?)トークでカバーしながら授業をしました。アクセントはアメリカンなままで(1年半ではPoshな英語はしゃべれるようになりませんね)。
そして、この4月から、おそらく私より英語ができる生徒たちがたくさんでいるであろう中学・高校の英語教師になります。それでは英語教師とは一体何のための存在か、何を教えるのかと早くも、アイデンティティーの危機に瀕していますが、職業的なアイデンティティーの危機とは裏腹に、自分らしさという意味でのアイデンティティーは出来上がったのかな、とも思います。それはたくさんの「越境」を経験したからこそ気付いたものです。今GraSPPで学ぶ人、これから学ぶ人、私なんかが申し上げるのはおこがましいですが、GraSPP時代にたくさんの「越境」を楽しみ、「タフな東大生」(もう学内ではあまり使われていませんか?)の最先端を走り続けてください、健康にも気を付けながら。