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東京大学公共政策大学院 | GraSPP / Graduate School of Public Policy | The university of Tokyo

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安全保障と軍事共同訓練のシナリオ・プランニング:不確実性をものにする力の育成を

ヘング・イクァン教授 (from Singapore )

略歴

英ロンドン・スクール・オブエコノミクスで国際関係論の博士号を取得。アイルランドのダブリン大学トリニティー・カレッジ・ダブリン政治学部講師スコットランドのセント・アンドルーズ大学国際関係学部講師、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院准教授副学部長を歴任。2016年から現職。専門は国際政治学、日英防衛協力安全保障研究戦略研戦略的フォアサイト、リスク管理。主な著書に『Managing Global Risks in the Urban Age: Singapore and the Making of a Global City (Routledge, 2016)など。

ヘング・イクァン教授の研究室に一歩足を踏み入れると、書籍と一緒に、色とりどりの軍事イベントのノベルティーや雑誌、報道記事の切り抜きなどが所狭しと並び、専門領域に対する関心の幅広さに圧倒される。安全保障を専門とするヘング教授は、未来を兆す情報をうまく使いこなし、ものにするための戦略的な先読みや、リスク管理の研究に従事する。近年、急速に変化している国際社会での安全保障情勢と、不確実な未来を読み解く力が、ますます政策当局に求められている。未来をものにする力とはどのようなものか、聞いた。

 

――ヘング教授の最近の研究の中で、「フューチャー・リテラシー(未来を読み解く能力)」や企業発の思考法である「シナリオ・プランニング」が安全保障の文脈で語られ、大変興味深いと感じました。この手法が政府セクターに導入されたのはいつ頃ですか。

 ヘング・イクァン教授(以下ヘング):国家の脆弱性を突くような「最悪の事態」が起きた際、いかにその衝撃を緩和し、迅速に対処できるか。これを事前にシミュレーションしておくことが、安全保障の核心と言えます。

 シナリオ・プランニングは、未来を「予測」するのではなく、起こりうる複数の未来(シナリオ)を「活写」し、それぞれの世界でどう生き残るのかを事前にシミュレーションするものです。政府セクターでは1980年代、あるいはそれ以前から導入され、長い歴史があります。

 とりわけ知られているのはシンガポール政府です。小さな島国にとって、未来を読み解く力の欠如は、即、国家の存亡につながります。シンガポールは1980年代から、当時世界で最も高度なシナリオ手法を持つとされたロイヤル・ダッチ・シェル(現シェル)のチームから手法を学び、公務員の訓練に実験的に取り入れています。1995年には、首相官邸(PMO)内に全政府的な視点からシナリオをつくる「シナリオ・プランニングオフィス(後にストラテジックポリシーオフィスと改称)」を設立しました。2009年には同オフィス内に未来シンクタンク「センターフォーストラテジックフューチャーズ」を設立しています。

 備えある未来を使いこなすために必要なのは、「スキル」と「マインドセット」です。公務員は日々の業務に追われがちですが、体系的に未来を考えるためのスペース(時間と場所)をなんとしても確保しなければなりません。受動的ではなく能動的に、この先に「何が来るか」を察知する姿勢が不可欠です。

 英国やシンガポールの政府はホライゾン・スキャニング(危機の予兆をいち早く捉える手法)やデルファイ法(複数の専門家に調査を繰り返し、意見を収束させていく未来予測の方法)といった技法を重視し、職員に習得させるためのワークショップに多大なリソースを投じています。

 ここで重要なのは、習得の仕組みが「組織的なインフラ」として整備されている点です。例えば、シンガポール政府は独自の「ツールキット」を作成し、オンラインで国内のあらゆる政府機関に配布しています。これにより、異なる省庁間でも全く同じメソドロジー(手法)や技法で、技術革新や社会の動きに対する備えができるのです。さらにシンガポール政府は英国政府と、政府間で専門知識やスタッフの経験知を交換し合っています。

 組織的な「未来を使いこなす力」の育成

――なぜ「予測」ではいけないのでしょうか。

 ヘング: 現代の複雑な国際情勢の中、未来を1つの「点」として当てることは不可能です。統計的な予測は、過去のデータの延長線上にある未来しか映し出せません。しかし、私たちが直面しているのは過去のデータが通用しない不連続な変化です。

 例えば、地政学的な対立が深まり、ある日突然、特定の重要物資の輸出が止まる。これは経済学的な予測モデルでは「外生ショック」として片付けられてしまいますが、国家にとっては死活問題です。シナリオ・プランニングは、こうした「ありそうもないが、起きたら致命的な事象」をあえて思考のテーブルに乗せます。

 ――翻って日本を見ると、そうした力の組織的な育成は遅れているように感じます。

 ヘング: ただ、新しい動きもあります。先月、私が所属するGraSPPと総務省、そして経済協力開発機構(OECD)の間でMOU(覚え書き)を締結しました。総務省のチームとは以前から非公式に、30年後の日本、特に人口減少に直面する地方の未来シナリオについて議論を重ねてきましたが、こうした「未来を考える力」を公的な能力として高める取り組みが、日本でも本格的になろうとしています。

 共同訓練が示す「新しい現実」

――未来への備えということでは最近、日本周辺で同盟国やパートナー国との「軍事共同訓練」がかつてないほど活発になっています。

 ヘング: この23年で、欧州諸国の関与は歴史的なレベルに達しています。2025年英空母「プリンス・オブ・ウェールズ」を旗艦とする英空母打撃群(CSG25)の来日や、ノルウェーがフリゲート艦隊の25%を半年間も派遣したことは、その象徴です。

 背景にはウクライナ情勢があります。「今日のウクライナは明日の東アジア」という認識が広まり、台湾海峡や南シナ海での紛争が世界の貿易路に与える壊滅的な影響を、欧州諸国が自国の経済リスクとして捉えるようになりました。現在の安全保障は「グレーゾーン事態」と呼ばれる、平時でも戦時でもない曖昧な状態が長く続くのが特徴です。ここでの軍事共同訓練は、単なる武力の誇示ではありません。地政学的な安定が、いかにサプライチェーンやシーレーンの維持といった経済的な安定に直結しているかを多国間で検証するプロセスであります。 

 ――複数の国が参加する訓練自体が、巨大な「共同のシナリオ・プランニング」になっているわけですね。

 ヘング: まさにその通りです。大規模な演習というのは、膨大な数の「もし(What-if)」を検証するプロセスです。「もし通信網が遮断されたら」「もし重要港湾が封鎖されたら」。ミサイルを飛ばす前に、サイバー攻撃や海上封鎖によるサプライチェーンの遮断をどう防ぐか。日米だけでなく、英国、フランス、オーストラリア、ドイツ、オランダ, そしてフィリピンといった国々が共に汗を流し、経験を共有する。

 シナリオの「解像度」を高める共同訓練

 最近の共同訓練では、単なる戦術レベルの話だけでなく、国際海洋法の法的な解釈や、民間人の避難・人道支援といった実務的な協力まで含まれるようになっています。これは、軍事的な衝突を防ぐことと、サプライチェーンやシーレーンといった経済的な安定を維持することが完全に一体化している現状を反映しています。

 ――共同演習を重ねる意味は、単に親しくなる以上のものがあるのですね。

 ヘング:重要なのは「インターオペラビリティー(相互運用性)」です。これは単に通信規格や武器を共通化するといった技術的な話だけではありません。プロシージャル(手続き)、リーガル(法)、そして「ヒューマン(人間)」の相互運用性です。

 日本にとって最大の障壁は「言葉の壁」です。いわゆる言語の問題だけではありません。英語圏やNATO諸国には75年にわたる協力演習の歴史があります。そこで脈々と共有されてきた共通の思考プロセス=暗黙知が、日本は共有できていない。日本が米英だけでなく欧州、豪州、インドといった多様なパートナーと演習を繰り返すのは、有事の際に「相手がどう考え、どう動くか」を肌感覚で理解するためです。場数をこなすことでしか、この暗黙知の壁は越えられません。

 ――経済安全保障の観点からは、このような軍事的な動向をどう評価すべきですか。

 ヘング: 軍事演習は重要です。企業などに対して、安心感と自信を与えるからです。どんなに優れた経済政策や備蓄計画があっても、それを守る物理的な枠組みがなければ機能しません。軍事的な共同訓練によって「この地域の安定は維持される」という信頼が醸成されて初めて、企業は安心して投資を実行でき、サプライチェーンを構築できるというわけです。

 ――高市早苗政権下での防衛予算増額や、日英伊のグローバル戦闘航空プログラム(GCAP)における次世代戦闘機の共同開発など、日本の防衛政策はいよいよ本丸が動き出した印象があります。

 ヘング: GCAPのような国際共同開発は極めて画期的です。米国が関与しない形での開発は、日本の産業界にとっても大きな転換点になるでしょう。ここで重要なのは「防衛配当(Defense Dividend)」という考え方です。英国などでは、防衛産業への投資が「雇用」「技術革新」「サプライチェーンの強化」をもたらし、経済安定に寄与するというポジティブなイメージがあります。日本でも「防衛=武器商人」という古いイメージを越え、防衛産業の能力が日本の経済政策の重要なセクターになり得るという議論が出てきています。

トランプ政権の不確実性や地政学リスクを前に、日本がより多くのパートナーと「シナリオ」を共有し、訓練を通じて実践的なリテラシーを高めていくこと。それが、戦略的サプライズ(予想を裏切る戦略的アプローチ)を乗り越える唯一の道だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

(聞き手・構成=広野彩子、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授)

 

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