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東京大学公共政策大学院 | GraSPP / Graduate School of Public Policy | The university of Tokyo

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点と点を線で繋ぐということ、悔いのない人生を送るということ

高野弘毅 (from Japan)

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行った有名なスピーチに、”You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.”という一節があるが、振り返ってみれば、私の今は間違いなくGraSPPとダブルディグリー先のオーストラリア国立大学(ANU)で過ごした2年半が、線となって形成してくれた。そして、茨城県職員として働く中でいつも自分の軸にあるのが、この2年半を無駄にしていないか、自分にしかできない仕事に取り組めているか、悔いのない人生を送ることができているかである。

ベトナム中央政府との覚書締結。覚書を交換している男性が筆者

私は今、労働政策課という部署で、外国人労働者の受入れを促進する業務に従事している。言うまでもなく、既に日本の産業は外国人材無しには成り立たない。茨城県も例外ではなく、人口290万人のうち4万人近くの外国人材が農業や製造業など様々な分野で産業を支えており、そしてこの4万人という数字は過去10年足らずで倍になっている。日本政府は平成31年4月に外国人の在留資格に「特定技能」を新たに加えるなど、更に受け入れを進めていく方針であり、茨城県も同年4月に全国に先駆けて外国人材支援センターを設立し、行政として受け入れを強力に進めることに舵を切った。

私は、茨城県庁で5年勤務した後、社会人学生としてGraSPPに入学したが、県庁に復職後は国際関係の仕事に従事したいと漠然と思うようになった。そこで、庁内の公募制度を活用し(いくつかの部署は、その業務に従事する意欲のある職員を募集する制度がある)、県が外国人受入れ促進を進めるその初年度に労働政策課に来た。それは、GraSPPとANUで、多くの外国人のクラスメートと共に勉学に励み、行政・政治・文化について語り合うなどの経験を通じて、留学で鍛えた語学力も含め、他の県職員に比べハードルなく外国人材に接することができると考えたからである。自分にしかできない仕事が、この労働政策課にあると考えた。

ベトナム地方政府との覚書締結。筆者は右端で、その左が大井川茨城県知事

この外国人材受入れ促進業務は、想像以上にタフだった。まず、海外の中央政府や地方政府、教育機関、国内の駐日外国公館と交渉しなくてはならない。それは、県内企業がスキルや日本語能力を有する適切な外国人材を適正なルートで受け入れるために、信頼できる海外のカウンターパートを見つけ連携していく必要があり、覚書という公文書を交わさなくてはならないからである。海外には、人材送出しをビジネスにする悪質なブローカーが多くいて、履歴書の偽装や在留資格が合わない者を斡旋されるケースも珍しくない。また、茨城県が外国人材を受け入れたいと思っても、果たして彼らに47都道府県のうち茨城県の企業を選んでもらえるのか。賃金や待遇含む茨城県内の労働環境や生活環境、外国人材に対する支援体制、そのすべてをPRし、他県に先んじなければならない。茨城県はベトナムやインドネシアなどの4カ国をターゲットにしており、その調整・交渉を一手に担当することになった。

信頼できるカウンターパートの発掘に向け、まずは日本国内の駐日外国公館を通じて、海外の中央政府等とコンタクトを試みるのだが、ここでGraSPPとANUのクラスメートとの繋がりが役に立った。GraSPP及びANUは公共政策大学院であるため、海外の中央政府から派遣される留学生がとても多い。そこで、仲の良かった東南アジア諸国の財務省や総務省などの出身者に、日本の駐日外国公館で勤務する書記官を紹介してもらい、その後に中央政府などにアプローチすることができた。詳細な交渉過程は省略するが、いくつかの国とは覚書を締結し、具体的なプロジェクトもスタートした。

ベトナム中央政府・地方政府との覚書締結に関する記事
https://www.pref.ibaraki.jp/shokorodo/rosei/rodo/gaikokujin/mou/vietnam.html

インドネシアの大学との覚書締結に関する記事
https://www.pref.ibaraki.jp/shokorodo/rosei/rodo/gaikokujin/indonesiauniversity.html

茨城県で開催されたG20貿易・デジタル経済大臣会合でセネガル代表団のアテンドを務めた

今振り返ると、GraSPP入学前には想定もしなかったが、それは院生時代の学びと行動が線で結びついた結果だ。GraSPPに入学しなければ国際関係の業務に従事したいという気持ちもなかったし、ANUに留学し、日本人が一人という環境を経験しなければ外国人材業務にも従事しようとしなかっただろう。また、ANUでの留学時代に、平日・休日の別なく深夜2〜3時頃まで勉強させられたこと、一番英語の下手な日本人が単位を落とさずに生き残るためのハードな経験をしたことが、県に復職し、前例のない、誰にも頼ることができない海外との交渉においてどうすれば成果を出せるか、困難でも打ち負かされないタフさ身に付けさせてくれたように思う。

GraSPPを卒業する前には、県庁に復職して、大学院で身につけたものが活かせるのか心配されたり、私のような人間に転職先の紹介を提案してくれた友人もいたが、私は、自分にしかできない社会貢献をしたいと考え、県庁で生きていくことに決めた。その決断を正当化しようとすること、後悔を感じないようにすること、それはいわば自分に対する一種の“呪い”になっている気もする。国際業務で成果を出すには、沢山矢を放って一本でも掠れば良いという感じなのだが、少しでも可能性があり面白そうであれば、チャレンジする。

県の他部署には、輸出や空港路線開拓や国際観光などの分野で中国と関係がある部署もあり、今の部署から異動しても国際畑を歩むため、中国語の勉強を初めた。また、英語を忘れないようため、留学時に知り合ったオーストラリア人の友人とだいたい2週間に1回のペースでのオンライン英会話も続けている。今後も過去を振り返った時に、今までの挑戦と経験、そしてGraSPPとANUで学んだ2年半が線で結びついて今があると思える、悔いのない生き方をしていきたい。