略歴
京都大学経済学部卒業、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)都市政策学修士。2003年国土交通省に入省、公共交通、観光、地域政策担当を経て2014年京都市産業観光局観光MICE推進室観光戦略担当部長、2017年国土交通省総合政策局環境政策課課長補佐、2019年復興庁企画官を歴任。2021年から現職。大分県出身。
GraSPPの三重野真代特任准教授は、国土交通省で観光・都市政策に携わり、活躍した元官僚である。とりわけ時速20キロ以下で公道を走る、環境負荷が低い小型の低速電動車「グリーンスローモビリティ(以下、グリスロ)」の推進に注力し、名付け親となった。現在は東京大学公共政策大学院(GraSPP)で教壇に立ちながら、「一般社団法人グリーンスローモビリティ協議会」の理事長としてグリスロの普及に心血を注ぐ。2025年7月には私財を投げ打って事業会社「スロウワールド」を設立し、代表に就任した。人生をかけて「ゆっくり動ける社会」の実現を目指す三重野氏の、信念のルーツを探った。
―― 国交省を志したきっかけは。
三重野真代特任准教授(以下、三重野):私は大分出身です。中学生のとき、大分に初めて高速道路が通って、地元ではものすごく便利になりました。なのに、全国ニュースでは「誰も走らない無駄な高速道路」と批判されました。大分に住んでもいない、全く関係のない人たちが、私たちにとっては貴重なインフラを「ムダ」と断じているわけです。
都市中心の価値観に、激しい違和感を覚えました。「地方に住んで分かっている人が地方のことを考えないと、おかしなことになる」。そうした危機意識から、地方のインフラや地域振興に関われる国土交通省を志望するようになりました。
―― 大分の県立高校から、京都大学に進学しました。
三重野:子どもの頃は大分からほとんど出たことがなかったのですが、中学の修学旅行で初めて京都を訪れて以来すっかり惚れ込んでしまい、京都大学経済学部に進学しました。
学生時代は老舗旅館のアルバイトも経験しました。布団上げやお部屋食の配膳をしながら、「流れ」の仲居さん(注:全国の旅館を転々と渡り歩いて働く女性たち)たちの熟練した働きぶりに脱帽したり、お客さまからの思わぬ「心付け」(チップ)に触れて感激したりしながら、「サービス」と「まち」の関係について身をもって学んだ気がします。
「プチトラン」との出合い
―― 京都の旅館でアルバイトとは、観光サービスを知る貴重な原体験ですね。「スローなモビリティ」に関心を持ったのも、観光体験が関係していたのでしょうか。
三重野:それは、2011年秋から官費派遣留学で滞在した英国で、「プチトラン」と呼ばれる、遊園地の乗り物のような小さなSLと出会ったのがきっかけです。町中の道路をゆっくり走る乗り物です。
初めて乗ったのは英国北部のヨーク市でした。駅から鉄道博物館に向かう時に駅前にプチトランがやってきて、「ええっ、こんなにかわいい乗り物で博物館に行けるんだ!」と大感激しました。とても低速で、ゆっくりで、移動そのものをゆったり楽しめる。以来すっかり夢中になって、欧州の都市を訪れた際にプチトランを見かけるたび、必ず飛び乗っていました。
プチトランには独特の魅力があります。普通の移動は A から B へと向かいますが、プチトランは A から A 。途中の道のりを周遊しながら戻ってくる。観光客のための乗り物で、機能だけなら「なくても困らない」ものかもしれない。でも、その「なくても困らないもの」こそが街に奥行きを与え、楽しさや豊かさをつくり出していると思う。日本にも「ちょっと違う、ゆっくりで楽しい移動」があっていいのに。そんな思いが、ずっとくすぶっていました。
―― 英国留学から帰国した後、観光都市・京都市に出向しました。
三重野:留学前は、都市政策といえば駅前整備や建物などハード面にしか目が向いていませんでした。でも英国留学を通じて、都市政策における多様性や国際的評価といったソフト面での課題意識が芽生え、京都ではそれを存分に生かすことができました。
2014年7月、米国の有力な旅行雑誌「トラベル+レジャー」誌で、読者投票による世界の人気観光都市ランキングで京都市が初めて「1位」を獲得しました。私が京都市産業観光局にMICE推進室MICE戦略推進担当部長として着任してまだ1週間くらいの時でした。当初は皆、「へぇ、選ばれたんだ」程度の受け止め方でした。
ところが翌年も2年連続で世界1位になった後、大勢の外国人団体観光客らが殺到するようになり、様々な課題に直面することになりました。
2015年以降は観光客が多すぎることが地元に悪影響を及ぼす「オーバーツーリズム」が各種メディアで厳しく指摘されるようになりました。例えば、違法民泊が爆発的に増え、地元の重要な足である一部の路線バスが慢性的に混雑するようになりました。大切に町を守ってきた京都の住民が、安心・安全な日常生活を脅かされるようになったのです。
京都の美しさを育んだものとは
当時、京都を訪れた外国人に感想を聞いたところ、「町がとても美しかった」という声が圧倒的でした。その裏には京都人が、習慣として日常的に自宅前を掃除してきたり、費用も手間暇もかかる伝統的な祭礼を脈々と引き継いできたりした長い歴史があります。
町家に滞在する観光客の方も増え、魅力の1つになっていましたが、町家の改修が必要な時には、個人の方が数億円規模を負担しているのが現状です。こうした、地元の人々が脈々と営んできた「語られてこなかった日常」の数々が、京都という都市の美しさとブランドをゆっくり培ってきたのです。京都の魅力は、市民による「文化資本」があってのことなのです。
そこで京都市では訪問者数、といった「数」ではなく宿泊者数、という「質」で目標を設定しました。つまりあくまで宿泊し、京都市にお金を落としてもらうことを重視したうえで、富裕層をメーンターゲットにしたのです。京都市を本格的な「世界ナンバーワンの観光都市」として改めて訴求することが目的でした。
違法民泊が増える理由として、宿泊施設が足りないことが原因として指摘されたため、私はまず世界に名だたるラグジュアリーホテルの誘致に力を入れました。その結果、あまり宿泊施設がなかった京都駅の南側にホテルが増えましたし、リッツ・カールトンなど国内外のラグジュアリーのホテルがとても増えました。また、町家の一棟貸しも進めました。京都では、発展と「ゆっくり」のバランスを舵取りする難しさを、身をもって知りました。
自ら名付けた「グリーンスローモビリティ」
――「ゆっくり」を目指す「グリーンスローモビリティ」の構想は、そうした京都での実体験も生きたのでしょうか。
三重野: グリスロは、国交省で課長補佐になった38歳の頃、自分で「グリーンスローモビリティ」と名前をつけて立ち上げました。ゴルフカートのような、時速20キロ未満で走る4人乗り以上の小型電動車両を活用して、街中をゆっくりと移動する公共の移動サービスのことです。
2015年に採択されたパリ協定に基づき、「環境・経済・社会の統合的向上」を実現するための取り組みとして始めました。高齢化が進む地域での地域内交通の確保や、観光資源となるような新しい観光モビリティーの展開などを通じて、低炭素型モビリティーの普及を図ったものです。小さいので観光地の周遊や、高齢者の移動手段に使えるのが強みです。ヨーロッパで知ったプチトランと、日本の現実的なモビリティー政策を結びつけるイメージでした。
でもここで痛感したのは、「ただ政策を作っただけでは広がらず、必要な方に届かない」ということでした。政策の旗を振る人がいて、伴走して丁寧に説明する人がいて、じっくりと誤解を解いて――そういう人の思いを介した「プロセス」を経ないと、現場には根づかないのです。京都では、職員の本気の熱意が、観光政策を動かす大きな力となりました。グリスロでは、ニーズがあるにもかかわらず、全然現実が変わっていかない場面がたくさんあり、社会で旗を振る存在が必要であることを痛感しました。
また、ある人に、「グリスロってブームだよね」と言われたことがありました。モビリティー関連の政策は、一時的に注目されはしても、後は静かに消えていくものも確かに多いのです。でも、グリスロの政策が残した事実やデータをきちんと見ずにそれを「一過性でしょ」の一言で終わらせられてしまうと、サービスを本当に必要としている地域に、政策を届けるチャンスが永遠に失われてしまいかねない。
役所の人事で次々と担当が代わっていく中で忘れられ、政策の芽が消えてしまってもいいのか……。そのうち、「役所に戻って別の仕事をするより、グリスロの普及に自分が尽くした方がいいのではないか」という思いが頭を離れなくなったのです。
「政策をつくる人」から「旗を振る人」へ
―― 政策立案に打ち込んでいた国交省の官僚を辞める決断は簡単ではなかったと思います。
三重野:実は、30歳くらいの頃から「50歳までには役所を辞めようかな」とぼんやり考えていました。公務員経験だけで人生を終えるのは、少しもったいない気がしていて。GraSPPには、国交省からの「研究休職」という形で4年間来ていて、本当は2025年3月で休職期間が終わり、役所に戻る予定でした。
正直に言うと、大学への出向の打診が来た当初は、「大学院に行ったら私のキャリアどうなるんですか」とかなり抵抗したのです。当時国交省で、私なりに、若い頃から目標にしていたポストもあったからです。でも、もはやそのポストは東大にいる間に、年次的に私が就ける可能性がほぼなくなってしまいました。そこで改めて上司と話をして、「東大でグリスロの研究と普及を思いきりやらせてください」とお願いしたら、「好きなだけやっていいよ」と言ってもらえたのです。
その意味では恵まれていたと思いますが、「50歳までには辞める」という自分との約束は頭の隅にありました。そして、自分がつくったグリスロを「役所の制度の一つ」ではなく、「社会の当たり前」にするためには、政府の役人の立場を一度手放したほうがいいという結論に達しました。
―― 起業した「スロウワールド」では何を展開していますか。
三重野:スロウワールドは、「スローな街をつくるために必要なモノや仕組みをつくって売る」ことを目指している会社です。社名には、「ゆっくりであることで、世界がもっと幸せになるような社会をつくりたい」という願いを込めました。
「スローな街」をデザインしたい
たとえば、ヨーロッパの道路沿いには、車の速度が制限速度以内だと笑った顔、超えると怒った顔が表示されるかわいいサインがあるのです。事業として、日本版のサインを開発してみたい。ほかにも、グリスロのドライバー向けの制服をつくることも考えています。今は地域のボランティアの方がご自身の用意した服装で運転していることが多いですが、きちんとした制服があると気持ちも高まるし、街の風景としても楽しい。小さなところからでも、「スローな街」をデザインしていきたいのです。
2025年9月に立ち上げたばかりの「一般社団法人グリーンスローモビリティ協議会」には、現在約60団体が参加しています。自治体、コンサルティング会社、車両メーカーなど、グリスロに関心のある組織が集まり、制度面の課題解決策や、導入ノウハウを共有しています。「全国で何台導入するか」が目標ではなく、「グリスロを導入したい地域が、スムーズに導入できる」仕組みづくりを目標にしたい。制度の壁を低くすることで導入のハードルを下げ、必要な情報を分かりやすく届ける。それが協議会の役割だと思っています。
「遅い」と「ゆっくり」は違う
「遅い」と「ゆっくり」が同じだと思われがちですが、私の中では全く違います。「遅い」は、誰かと比べて時間がかかること。「ゆっくり」は、自分のペースで、同じ動作に時間をかけること。
駅の改札を通るとき、本当はそれほど急がなくてもいいのに、後ろに人がいるからと仕方なく早歩きをしてしまうことはありませんか。私たちはそう、常に周りに気を遣って気ぜわしく生きている。そんな中で生きづらさを抱える人が恐らく大勢いるはずです。例えば高齢の方や、体の不自由な方、小さなお子さん連れの方……。皆もっと、自分軸で生きてもいいのではないでしょうか。
私財を投げ打って「グリスロ」に
独立後、よく「お金はどうしたの」と聞かれますが、自分の退職金を思い切って投じて活動しています。グリスロは私にとって、子どものようなものですから。役所を辞めたとはいえ、国交省とも連携しながら、グリスロ普及に向けて試行錯誤を始めたばかりです。
個人としての「最終ゴール」はまだ言葉にできていません。ただひとつ言えるのは、「残りの人生、自分にしかできないことを自分らしくやり続けたい」ということです。移動が「ゆっくりでもいいんだ」と人々の認識が変わっていくことで、少しでも社会の生きやすさにつながればいいな、と願っています。
(聞き手・構成=広野彩子、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授)