略歴
2003年東京大学法学部卒業、警察庁入庁。2009年、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)修士課程(公共管理学)修了。2010年、同修士課程(法学)修了。2024年から東京大学公共政策大学院教授。「公共管理論Ⅱ」、「政策分析・立案の基礎」、「Introduction to Intelligence」、「事例研究(国際情勢の分析)」の授業を担当している。
近年、世界の安全保障環境が厳しさを増し、不確実性が高まっている。国益を守るためのインテリジェンスの重要性がますます高まっているが、国内でその仕組みが広く語られる機会はあまりない。
インテリジェンスといえば映画などのイメージが強く、一般的にはとかく派手な情報戦のイメージを持たれがちである。だがインテリジェンスは、大量の情報があふれかえる中で重要なものを選別し、政策決定者の「問い」に向き合う、地道で思慮深い活動だ。警察庁から本校に出向し、インテリジェンス関連の授業を担当する森充広教授に、インテリジェンスの役割や業務の実態などを聞いた。
―― 森充広教授は、インテリジェンス関連の講義を担当されています。最近、国際情勢が目まぐるしく変化する中で、インテリジェンスへの注目が高まっていますが、その実態については、情報を発信する方が限られ、ヴェールに包まれている印象です。
森充広教授(以下森) 確かに、安全保障分野の政策実務では、「政策とインテリジェンスは車の両輪」と言われるほど重要視されているのですが、教育機関でインテリジェンスを学ぶ機会はあまりありません。インテリジェンスは政策そのものではなく、政策決定を目立たないところで支援するものであるためかもしれません。
政策決定には、背景事情や見通しといった情勢評価が不可欠です。インテリジェンスは、情報の収集・加工・分析により、政策決定者が必要とする客観的でタイムリーな情勢評価を提供します。ただし、あらゆる事象について完全に把握し、見通すことができるわけではありません。こうした特徴や限界を理解することは、情勢を的確に把握し、政策決定に上手く活用する上で非常に重要です。したがって、インテリジェンスについて学ぶことは、インテリジェンス部門でのキャリアを目指す方だけでなく、安全保障を始めとする政策の立案に携わる方にとっても有益だと考えています。
──そもそも「インテリジェンス」とはどのような活動なのでしょう?
森 政策部門の要求に基づいて、必要な情報を収集・分析した上で、政策部門に伝達するまでの一連のプロセスです。政策部門の要求に沿わない独善的なインテリジェンスでは、政府の活動として無益です。インテリジェンス部門は、官邸の要職者を始めとする政策部門が対処すべき課題を十分に認識し、その政策決定を支援し得る成果物(プロダクト)を作成する必要があります。
──政策決定者からの要求は、明快なのでしょうか?
森 政策決定者が知りたいことを適切な言葉で表現するのは、実は困難な作業です。国家安全保障の観点から重要な事象は山ほどあり、例えば「中国の情勢」と一言で言っても、習近平政権の意思決定プロセス、国内の少数民族政策、東シナ海などでの海洋進出動向、台湾に対する影響力工作など、多岐にわたります。これらの中から要求を絞り込み、優先順位を含めて明確に示すには、深い洞察を要しますが、政治指導者は一般的に、過密なスケジュールの中で様々な案件に忙殺され、沈思黙考する時間はなかなかありません。
このような状況は、政策部門とインテリジェンス部門の結節点を充実させることで、一定程度は改善できます。日本の場合、第二次安倍内閣で、内閣情報官による総理へのブリーフィング(説明)が週1回から週2回に増え、内閣官房国家安全保障局という政策立案部局も創設されました。インテリジェンスの要求も、かなりレベルが上がっているのではないかと思います。
一方、政策部門が知るべきことは、情勢の変化と共に刻々と変化します。そのような場合、分刻みでの詳細な要求は困難ですから、インテリジェンス部門で要求をある程度想定する(推し量る)必要が出てきます。政策部門が何を求めているのかを読み取るのが、インテリジェンスの仕事の難しさであり、腕の見せ所でもあります。
時間との闘い
──日本の安全保障をめぐっても、北朝鮮のミサイル発射や中国海警局船舶の領海侵入など、情勢が急激に変化する事案が発生していますね。
森 はい。例えば、北朝鮮の弾道ミサイル発射については、「首相動静」などから推測すると、発射されてから1時間程度で、総理のもとに内閣情報官や防衛省・外務省の幹部が集まって報告しなければならないこともあるようです。インテリジェンス部門は、それまでの間に、あらゆる情報源からの情報を統合して分析しなければなりません。その上で、「何が起きたのか」のほか、「それは何を意味するのか」、「なぜ起きたのか」といった要素を含め、初期的な評価を総理に届けていると考えられます。ちなみに、発射が深夜・休日だった場合は、職員がタクシーで出勤する時間もこの1時間に含まれ、インテリジェンス部門の持ち時間がさらに限られる可能性があります。
もちろん、初期的な評価だけでなく、その後も丹念に分析して、追加のインテリジェンスを報告することも求められます。
──極めてプレッシャーの高い仕事ですね。海外における邦人退避のような事案も、インテリジェンスの現場が支えると聞いています。
森 最近では、スーダンやイスラエル、レバノンなどで、情勢悪化を受けて在留邦人の安全確保が急務となりました。こうした事案では、インテリジェンス部門として、戦闘の状況や今後の見通しに加え、邦人の安全やその退避に資する情報を、情勢の変化や対応に当たる部局との連携にも留意しつつ、短時間で収集・分析しなければならないでしょう。国民の生命に関わるため、ニーズに合ったインテリジェンスを迅速に提供することが求められる場面と言えます。
日本のインテリジェンス体制
──日本政府でインテリジェンスを担当している組織としては、どのような機関があるのですか?
森 日本政府で取りまとめ役となるのは、内閣官房内閣情報調査室です。ここが警察庁、公安調査庁、外務省、防衛省などと連携して、インテリジェンス・コミュニティーを形成しています。警察は犯罪捜査、公安調査庁は団体規制法や破防法に基づく調査、外務省は外交活動、防衛省は国の防衛を主な任務としており、それぞれの任務の中でインテリジェンス活動をしています。内閣情報調査室は、官邸直属のインテリジェンス機関として、自ら情報の収集・分析をするとともに、内閣情報会議や合同情報会議を運営し、各省庁が収集・分析したインテリジェンスを集約して、総合的に評価、分析をしています。
──他国と比較してみた場合、日本のインテリジェンス組織の充実度はどのくらいでしょうか?
森 米国や英国といった先進諸国には本格的な対外インテリジェンス専従機関などがあり、大規模なインテリジェンス・コミュニティーを運営しています。これに対して、日本では前述のように、内閣情報調査室以外は各省庁がそれぞれの本来の業務に付随して得られた情報に基づきインテリジェンス活動を展開しています。日本では、第二次世界大戦後、軍部を始めとするインテリジェンス組織の多くが解体されました。その後も、米国の同盟国として発展してきた経緯から、安全保障面で独自の路線を打ち出す必要性はあまり高くなかったのでしょう。
近年になって、日本でもインテリジェンス機能の強化が議論され、漸進的ながら各方面で改革が進められてきました。2015年に設置された国際テロ情報収集ユニット(CTU-J)は、本格的な対外インテリジェンス機関ではないものの、その先駆的組織と言うことができます。依然として小規模ではありますが、様々な事象に柔軟に対応できる体制が整いつつあると思います。
今後の主な課題としては、対外インテリジェンス機能の更なる強化や、取りまとめ機関としての内閣情報調査室の拡充強化が指摘されています。急速に変化する安全保障環境の中で我が国が生存・発展していくためには、質の高いインテリジェンスに基づく安全保障戦略・政策が不可欠であり、インテリジェンス体制についても更なる拡充が求められると思います。
──インテリジェンスの世界では、どのようなトレンドが見られ、現場にどう影響していますか?
森 インテリジェンスが対処すべき課題としては、国家主体やテロ、大量破壊兵器といった従来からの脅威への対応に加え、経済安全保障やサイバー空間上の脅威への対応などの重要性も高まっています。また、インテリジェンス活動全般にわたる課題としては、オシント(Open Source Intelligence)の領域の拡大が挙げられます。
オシントは、以前から一定の重要性を持っていましたが、東西冷戦後、閉鎖的な国家が減少したことに加え、インターネットの発達などにより、情報量が激増しました。これは、情報収集・分析の対象の拡大を意味します。しかし、世界各国のニュースやSNS上の情報(インフォメーション)が増加しても、分析されたインテリジェンスの増加に直結するわけではありません。いわゆるノイズの増加により、本当に役に立つ情報の選別が課題となります。インテリジェンス組織では、オシント担当部門の拡充や民間の専門組織の活用で対応しています。
人工知能(AI)に代替できない役割
──オシント領域の拡大への対応として、人工知能(AI)の活用は有効でしょうか?
森 有効な面もあると思います。多言語翻訳のほか、ニュースやSNSから関連性の高い情報を抽出する作業や、偽情報や反響効果(Echo Chamber Effect。ある報道が引用を繰り返されることで様々な情報源に由来した情報のように見えること)を特定する作業は、AIが得意とする分野ですので、成果が得られるでしょう。衛星画像や通信内容の解析においても、一定の活用が期待できます。
しかし、「国の最高意思決定者は今、何を知りたいのか、何を知る必要があるのか」といった、時に明確に語られないニーズを「推し量る」ことや、要求者、すなわちカスタマーの特徴や用途を意識して、適切な形式・内容のプロダクトを仕上げることは、AIには困難です。カスタマーと日常的に接するインテリジェンス組織幹部の責務だと思います。また、あらゆる情報源からの情報を統合して確からしい結論を導き出すオール・ソース・アナリシスにおいても、最終的に専門家の目で判断しなければならない状況が続くでしょう。
バイアスを直視できる客観性が必要
──深い知性が求められる仕事ですね。どのような人が向いているのでしょうか。
森 まず、自らの思考を客観視できるバランス感覚が不可欠です。インテリジェンスは、客観的でなければなりません。しかし、分析の過程では「相手国も自国と同じように考えるはずだ」、「今回も前回と同じだろう」、「この情報源からの情報は常に正しい」といったバイアスが介在する可能性があります。
実際に米国のインテリジェンス機関も、こうしたバイアスにより日本の真珠湾攻撃やソ連の崩壊を十分に見通すことができなかったとされています。インテリジェンスに携わる人には、自分の思考パターンの傾向を認識し、多角的な視点を持って分析対象を考察することが求められます。
次に、実務家としての決断力を備えていることも重要だと思います。学術研究の世界では、論文の発表が1日遅れたからと言って、その価値が著しく減殺されることはまれであり、不明な点があれば、むしろ時間をかけて解明すべき場合も多いでしょう。一方、政策決定者は日々政策判断を迫られており、判断のタイミングに間に合わないインテリジェンスは無価値です。
インテリジェンスの世界では、必要な情報が全て揃うことはまずないと言っていいでしょう。しかし、それでも断片的な情報、矛盾した情報、不確かな情報の中で、何が最も確からしいかを、確度と共に伝える必要があります。覚悟を決めて、その時点で最善の情勢評価を提供することが、インテリジェンスに課せられた責任なのです。
また、インテリジェンスの仕事では、協調性も求められます。一般にインテリジェンス組織では、チーム内で課題について議論を深めながら分析を進めます。また、複数の分野にわたる分析では各担当が連携しますし、情報収集の方向性などについて収集担当と分析担当が協議することもあります。こうした中、個人の能力だけでなし得ることには限界があり、円滑なコミュニケーションによって組織としての総合力を発揮することが求められます。
目立たない「Thankless Job」
──最後に、インテリジェンスに関心のある学生にメッセージを。
森 インテリジェンスは、ご説明したとおり大変困難な仕事です。そして、優れた分析を示しても決して目立たない一方で、見立てを誤ればカスタマーの信頼を失います。そのような意味で、「報われない仕事」と言われることもあります。しかし、それでもインテリジェンスの現場では、多くの職員が誠実に業務を遂行しています。米国の第一次トランプ政権において国家情報長官を務めたダン・コーツ氏は、指名時の上院公聴会で、なぜ「報われない仕事(Thankless Job)」を引き受けるのかと問われ、それは「義務感」であり、「国の指導者から国家に奉仕するよう頼まれたら、答えはイエスであるべきだ」と述べました。
どの国でも、このように国家に奉仕するという強い矜持を持った人々が、毎日粛々とインテリジェンスを紡ぎあげているのです。
インテリジェンスに携わりたいと思って官庁に就職する人は、日本にはあまりいないでしょう。しかし、政策立案に当たる実務家はインテリジェンスと深く付き合っていく必要がありますし、巡り合わせでインテリジェンスの世界に足を踏み入れることもあるかもしれません。業務の性質上、あまり詳細を語られない分野ですが、国家の意思決定を内側から目立たない形で支える人々がいることを理解してくだされば幸いに思います。
(聞き手・構成=広野彩子、日経ビジネス副編集長/慶応義塾大学総合政策学部特別招聘教授)