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東京大学公共政策大学院 | GraSPP / Graduate School of Public Policy | The university of Tokyo

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コロナ禍で重要な分析を発信し続けた信念 「知の格闘技」が育んだ「実践知」

仲田泰祐准教授 (from Japan)

略歴

2003年、米シカゴ大学経済学部卒業、米カンザスシティー連邦準備銀行調査部アシスタントエコノミスト。2012年、米ニューヨーク大学で経済学の博士号(Ph.D.)を取得。同年9月から米連邦準備理事会(FRB)調査部エコノミスト、シニアエコノミスト、主任エコノミストを歴任した。2020年から東京大学大学院経済学研究科及び公共政策大学院准教授。2021年に第6回円城寺次郎記念賞受賞。2025年度日本経済学会石川賞受賞。

米連邦準備制度理事会(FRB)で約8年にわたり米国金融政策の最前線に従事し、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)期には日本国内での政策分析と情報発信で大きな注目を集めた仲田泰祐准教授。2025年度には日本経済学会から石川賞を受賞し、その実績は広く認められている。
東京の開成中学校・高等学校から直接渡米し、米テキサス・クリスチャン大学を経て名門、米シカゴ大学に進学。厳しい「知の格闘技」を経験した。FRBのカンザスシティー連銀でリサーチアシスタントからキャリアをスタートし、本部のワシントンDCへと転身、着実にキャリアを積み上げてきた。政策の現場と理論をつなぎ、発信を続ける仲田准教授に、キャリアの道のりと信念を聞いた。

 

——開成高校から米国の大学に直接進学しました。当時はかなり珍しかったのではないでしょうか。

仲田泰祐准教授(以下、仲田):確かに当時、海外の大学に進学する生徒はごくわずかでした。僕自身も最初から明確に決めていたわけではなくて、姉が先に米国の大学に進学していた影響が大きいです。まずは米テキサス州のテキサス・クリスチャン大学に1年間通いました。その後、公共政策系や経済学に興味があり、「徹底的に勉強させる」ということを全面的に出して広報していたシカゴ大学に転学しました。キャンパスの雰囲気にも憧れがありましたし。

博士課程よりきつかったシカゴ大学時代

——シカゴ大学ではどのような学生生活を送られていたのですか。

仲田:とにかくもう、めちゃくちゃ勉強しました。正直、博士課程よりきつかったです。シカゴ大学は、勉強好きな学生が集まる大学なので、自然とその雰囲気に引っ張られました。リベラルアーツの伝統が強く、哲学のロジックの授業、あるいはシェイクスピア、ホメロスなどいった古典を読む授業も必修で、鍛えられました。とりわけ哲学の「エレメンタリーロジック」の授業が本当に強烈でした。エレメンタリーとうたっていますが、全くエレメンタリーではないという……。この授業では数学的なロジックをがっつり叩き込まれました(当時の教科書を見せる)。

——…初級論理学。論理学は、「正しさ」を成り立たせる仕組みを、厳密に見極め、体系化する学問ですね。これは、本当に難解ですね。まさに知の格闘技。かなりハードな日常だったのではないですか。

仲田:僕も今、ものすごく久しぶりに教科書を見ましたが、全く意味が分かりませんね(笑)。どうやってついていったのだろう。でも、こうした「知的な筋トレ」で、徹底的に知的に鍛えられる授業を通じて、「わからないものにロジカルに挑んでいく」姿勢が身についたのだと思います。

特に思い出深いのは、大学1年目出会ったルームメートと過ごした日々です。米国人の彼とはとても気が合い、政治や経済、社会について、一緒にいる間はひたすら語り合いました。週末には、シカゴスタイルのピザを食べながらC-SPAN(政治専門チャンネル)を観て議論したりしました。彼との日々の暮らしを通じて、英語で考え、話し、議論し、書くという力がいつのまにか伸びたのだろうと思います。日本だと、あまり日常的にそうした議論を密にしないですよね。寮生活ならではです。

——学びだけでなく、日々の暮らしの中で鍛えられた。

仲田:そうですね。当時のシカゴ大学では、寮の仕組みもユニークで、寮ごとに食事のテーブルが決まっていて、決まった仲間と日常的に食事をともにしながら話をしていました。自分と異なる興味や価値観を持つ人とも対話せざるを得ない環境に置かれるのです。まさに「対話を通じた知の構築」が日常に組み込まれていたように思います。

バスケットボールが生活の一部

——勉強と対話に明け暮れる日々だったと思いますが、バスケットボールにも熱中されていたとか。

仲田:はい、中学・高校時代からずっとバスケ部で、部活動に全力投球していました。渡米してからも、授業の合間にコートでバスケをしていました。シカゴでも、カンザスシティーでも、ワシントンDCでも、職場の仲間とチームを組み、ローカルリーグに出場しました。米国でもバスケを通じて友達ができましたし、身体を動かすことでリフレッシュになりました。

——バスケ好きが高じて、著名なNBA選手と交流した経験もあるとか。

仲田:そうなのです。カンザスシティー連銀にいたとき、日本人のバスケ仲間と一緒に、田臥勇太選手がカリフォルニアの下部リーグからカンザスに遠征してきた試合を観に行きました。試合後に記念写真も撮らせてもらい、感動しました(写真を見せる)。バスケが大好きだったので、本当にうれしかったです。

——シカゴ大学卒業後、FRBに就職しました。日本に帰って就職することは考えなかったのですか。

仲田:大学を卒業してすぐ日本に帰ったら、少しもったいない気がしました。もう少し米国で生活したい思いが強かったのです。実は米国での就職活動では、金融やコンサルティングファームなども受けたのですが、あまりうまくいかなくて(笑)。そんな中、FRBのカンザスシティー連銀から、リサーチアシスタントの内定をいただいたのです。当時は金融政策のことなど全く分からなかったのですが、職場に入って、分析に基づいて政策が議論されている様子を目の当たりにして「こういう仕事があるのか」と、とても面白いと思ったのです。

分析が感謝されることに喜び

——一番面白さを感じたのはどのような場面ですか。

仲田:大学では、どんなに頑張って良い成績を取ったり、良いレポートを書いたりしたところで、褒められることはあっても誰かに感謝されるなんてことないですよね。でもFRBで分析をすると、同僚や上司から「ありがとう」ととても感謝される。自分の能力で社会に役立てるのだと実感できたのは、とても新鮮で、大きな喜びだったのです。

——FRBの数理モデルチームでエコノミストとして活躍し、中央銀行の政策課題を動学最適化問題として取り上げ、実績を積みました。特に思い出深い仕事はありますか。

仲田 ゼロ金利制約に関する分析に色々と取り組んでいました。本当にどうしたらいいか分からない、未知の状況の分析は大変やりがいがありました。例えば2014年から2018年までFRB議長だったジャネット・イエレンさんのような上級幹部のスピーチに、自分の論文が引用されたりすると最初は感激したものです。とはいえ慣れてくると、引用されないと少し不満、という感じで、だんだん図々しくなっていきました(笑)。

――2020年に東大から声がかかって帰国しました。2021年からは新型コロナウイルス禍(パンデミック)で、疫学マクロモデルを用いた感染予測などさまざまな分析を発信されました。政府の分科会や厚生労働省のアドバイザリーボードなどでも分析結果を提供してきました。不確実なテーマで、緊張の連続だったのではないですか。

仲田:パンデミックについて素人でしたし、新型コロナ禍は1年ぐらいで終わるだろうと考えていたので、分析は考えていませんでした。FRBであれば、こうした状況の時は今後の見通しを立てて政策を決めたいと思うものですが、そうした分析がされているのかがよく分からずにいました。外部の人間が知らないだけで内部では色々な分析をしているのかと思って様子を伺っていたのですが、そうでもなかったのです。

「できることを積み上げれば役に立てる」

2020年12月に少し分析してみたらすぐ手応えがあり、「よし、頑張るか」と決意を固めました。FRBで働いていた時と同様、分析が不足している領域に対して、自分ができることを積み上げていけばインパクトが残り社会に役立てるという確信があり、発信を続けていきました。仮に分析が現在のパンデミック対応の役に立たなくても、同じフレームワークで地道に分析を続けて、後から振り返ること自体が将来のパンデミックに役に立ちますから。

——キャリアを通じて政策へのインパクトを重視される姿勢が一貫しています。

仲田:アカデミアでの業績だけを追いかけるなら、もっと他の研究テーマを選んでいたかもしれません。でも、自分の強みは、理論と実社会をつなぐことにあると思っているので、そこに意味を見出しています。自分にしかできないことをやる。そこに、自分の研究者としての存在意義を感じています。

政策へのインパクトをより重視

——今後はどのような研究に取り組む予定ですか。

仲田:パンデミック関連の分析を、英語論文の形にして記録に残そうと日々地道に取り組んでいます。内閣感染症危機管理統括庁の方々、他分野の研究者の方々ともときおり意見交換させて頂いています。形にして世の中に残すことが、次のパンデミックに備えるための貢献につながると考えています。10~20本ぐらいの論文になりそうです。

アカデミアの業績を最大化したいなら、コロナ禍の分析はむしろ全部捨てた方がいいくらいでしょう。でも僕は政策へのインパクトをとても重視しているので、たとえあまり有力ではないとされる学術誌であっても、論文としてきちんと発信していくことが、将来の僕の仕事が信頼していただけることにもつながると信じています。将来パンデミックが起きない可能性もありますから、無駄に終わる可能性さえある。でもここまでやったら、中途半端で終わらせたくないです。
 
何より、自分にしかできないことに取り組んだ方がずっと楽しいですよね。仮にトップジャーナルには載らないとしても、将来パンデミックが起こった時に少しでも社会の役に立てるように、地道に取り組んでいきます。

 

(取材・執筆 広野彩子=日経ビジネス副編集長/慶応義塾大学特別招聘教授)

 

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