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東京大学公共政策大学院 | GraSPP / Graduate School of Public Policy | The university of Tokyo

飲める人が稼ぐって本当?―アルコール耐性と所得の関係

By 川口 大司   

酒を飲めるかどうかが所得や労働時間に与える影響を調べた結果、酒を飲める人はより頻繁に多くの量を飲んでいるものの、必ずしも高い所得を得ているわけではないことが明らかになりました。これまでの研究では、適量の飲酒が所得を上げる可能性があることが指摘されてきましたが、酒を飲む人と飲まない人では、性格やついている職業が異なるため、飲酒量と所得の関係は疑似相関ではないかとの批判がありました。もしも飲酒がビジネスコミュニケーションを円滑化して、所得を向上させる効果があるのならば、適量の飲酒は経済的な観点からは望ましいということになりえるものの、今回の研究結果は、そのような効果は期待できないことを明らかにしました。

酒が私たちの社会生活において重要な役割を担っていることは、古今東西の多くのエピソードが明らかにしていることです。祝いの席や悲しみの席では、酒がふるまわれることが多く、ともに酒を飲むことで、私たちは喜びや悲しみを共有します。このような飲酒の社会的な役割を考えると、酒を飲むことによって、同僚とのコミュニケーションや取引先との交渉が円滑に進み、生産性ひいては所得が上がるかもしれないと考えるのは自然なことで、今では死語となっていますが、昭和の時代には「飲みニュケーション」などという言葉も存在しました。

経済学者も飲酒の所得への影響について関心を持ち、膨大な量の先行研究が存在します。しかし、飲酒量は性格、職業、所得、生活環境などを反映して個人が選んでいるため、飲酒が所得と相関関係を持っていても、飲酒量が多くなる職業などの要因が所得を高めているのか、飲酒そのものが所得を高めているのかは明らかではありません。つまり、飲酒が所得に与える因果的効果の特定は難しい問題なのです。これまでの研究では、様々な統計的手法を用いて因果関係の特定を試みてきましたが、分析結果が仮定に大きく依存するという欠点がありました。この問題を乗り越えるため、本研究では、遺伝的に決定されるアルコール耐性が所得や労働時間に与える影響を推定しました。

日本人を含む東アジア人の中には体質的にアルコール耐性が低い人々がいます。摂取されたアルコールは、肝臓の中のアルコール脱水酵素(ADH)によってアセトアルデヒドに分解し、さらにアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)酵素によって酢酸に分解されます。アセトアルデヒドは有害物質であるため、ALDHの働きが悪い人は、アルコール摂取後に血中のアセトアルデヒド濃度が高くなり、頭痛、嘔吐、二日酔いなどの症状が出ます。東アジア人の中にはALDHが不活性な人が多く、酒を飲むと顔が赤くなる人々が多数存在します。
研究グループでは、アルコール耐性が所得や労働時間に及ぼす影響を調べるために、日本、台湾、韓国で、それぞれ約2,000人、1,000人、500人の勤労男性を対象に独自調査を実施しました。この調査では、アルコールパッチテストと呼ばれる、回答者のアルコールに対する遺伝的耐性を測定するバイオマーカーテストを実施しています。今回のデータでは、回答者の約50~60%がアルコール耐性があるタイプで、残りの40~50%がアルコール耐性がないタイプでした。この分布は、ゲノム解析に基づく医学研究のメタアナリシスで報告された分布に非常に近いものです。

データ分析の結果を要約すると、アルコール耐性がある男性はない男性よりも飲酒頻度と1回あたりの飲酒量が多いことがわかりました。この結果は3カ国で一貫していて、個人の属性を制御しても結果が変わらないことが確認できました。この結果は、飲める人が飲むというこれまでの研究でも報告されてきた関係を再確認するものです。次に、アルコール耐性がある男性とない男性の収入と労働時間を比較しましたが、アルコール耐性がある男性とない男性では収入や労働時間に統計的に有意な差はありませんでした。統計的に有意ではないことにとどまらず差の大きさも無視できるものでした。全体として、本研究の調査結果は、アルコール耐性が労働市場の結果に及ぼす影響がないことを示しています。

医学分野の研究でも、適量の飲酒は健康状態を向上させるという通念とは逆に、少量であれ飲酒は有害であるとの研究結果が知られるようになっており、飲酒により健康状態を向上させるという考え方は否定されるようになりつつあります。ただし、もしも飲酒がビジネスコミュニケーションを円滑化して、所得を向上させる効果があるのならば、適量の飲酒は経済的な観点からは望ましいということになりえます。しかし、今回の研究結果はそのような効果の存在をも否定するものです。酒は健康状態の改善や所得の向上を目的にして飲むものではなく、個人が自分の好みに従って楽しむべきものと言えそうです。

今回の結果はアルコールパッチテストとサーベイ調査を組み合わせて作られたデータを用いて得られたものですが、今後は自然科学分野の研究者との共同作業を通じて、大規模なデータを用いたより精確な研究が進展することが期待されます。

 

論文情報

<雑誌> Health Economics
<題名> Is Asian Flushing Syndrome a Disadvantage in the Labor Market?
<著者> Daiji Kawaguchi, Jungmin Lee, Ming-Jen Lin, and Izumi Yokoyama
<DOI> 10.1002/hec.4675
<URL> https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/hec.4675

川口 大司

川口 大司

2002年、米ミシガン州立大学経済学博士(Ph.D.)。一橋大学経済学研究科教授などを経て2016年から現職。専門は労働経済学、実証ミクロ経済学。現在の主要な研究として、新しい技術やマクロ経済環境の変化が、雇用・賃金に与える影響を労働者の異質性に注目し分析。また、労働者派遣業のデータを用いて労働市場における摩擦の大きさを計測し、それが労働者のスキル形成や賃金に与える影響を分析している。同時に様々な経済政策をミクロ実証経済学の手法を用いて評価する研究を行う。