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東京大学公共政策大学院 | GraSPP / Graduate School of Public Policy | The university of Tokyo

AIが生産性に与える影響を、タクシー乗務員のミクロデータで実証

By 渡辺安虎    川口 大司   

AIが労働に与える影響について、従来の研究では、どのような職業が特にAIの影響を受けやすいかという観点から議論されてきた。しかし、AIが労働に及ぼす影響は複雑であり、同一の職業に就く労働者の中でも影響が異なる可能性が考えられる。したがって、個々の労働者レベルの詳細なミクロデータを用いてAIが労働者の生産性に及ぼす影響を分析することが待たれていた。そこで、本研究ではタクシー乗務員の詳細な乗務データを用いて、需要予測AIがタクシー乗務員の生産性に及ぼす影響と、それが乗務員のスキルレベルにより、どのように異なるかを分析した。
 分析の結果、需要予測AIの活用により、高スキル乗務員の生産性向上には有意な影響が見られない一方で、低スキル乗務員の生産性を7%ほど改善することを発見した。ITやロボットといった従来の技術は高スキル労働者の生産性をより高め所得格差の拡大をもたらしていたが、AIという新技術は逆に格差を減少させる可能性があることをこの研究は示しており、AIが今後の経済に与える影響を考える上で、重要な発見といえる。

AIが急速に進歩し社会に普及するにつれて、AIが労働市場に与える影響について関心が高まってきた。これまでの研究は、職業ごとに必要とされる作業(=タスク)を定義し、それぞれの作業がAIの導入によってどれほど置き換わりやすいかを分析することで、AIの普及によって、どのような職業が特に影響を受けやすいか、を分析してきた。これらの研究により、高所得かつ高技能(=スキル)の職業のほうが、AI普及の影響をより強く受けることが明らかになってきた。この結果は、ITやロボットといった技術が低所得かつ低技能の職業のタスクを置き換えた結果、それらの職業の賃金を下げ、職種間の賃金格差を拡大してきたという従来の結果とは異なり、AIの普及は職種間の賃金格差を縮小させることを明らかにしてきた。

しかし、同じ職業に就く労働者の中でも大きな技能差とそれに伴う賃金差が存在する。そのため、AIの導入が労働市場全体の賃金格差に与える影響の全貌を明らかにするためには。同一の職業に就く労働者の中でのAIの導入が技能の高低によってどのように異なるかを明らかにする必要がある。このような研究が待ち望まれていたものの、個々の労働者がAIをどのように利用しているかという粒度の高いミクロデータが入手不能であったこともあり、これまでそのような研究は行われてこなかった。

本研究では、AIの利用が個々の労働者の生産性にどのような影響を与えるのかを、タクシー乗務員の詳細な乗務データを用いて分析した。特に着目したのはAIの利用が生産性に与える影響が労働者の技能の高低によってどのように異なるかという点である。この研究で分析の対象としたのは、株式会社Mobility Technologiesが開発した「お客様探索ナビ」と呼ばれ、乗客がいる確率が高い地域にタクシードライバーを誘導するAI技術である。このAI技術は機械学習を用いて、過去の需要パターンから将来の需要予測を行うものであり、実務の世界で幅広く応用されている典型的な需要予測AIだといえる。生産性の指標としては空車時間(=タクシーが客を乗せていない時間)の長さを利用した。これは、タクシー乗務員の総労働時間のうち空車時間が占める割合は少なくなく、空車時間の減少は、タクシー乗務員の生産性向上につながる余地が大きいためである。

東京大学とサイモンフレーザー大学の研究チームは、株式会社Mobility Technologiesより提供された、匿名化された各ドライバーの各空車走行履歴のミクロデータを分析した。この粒度の高いデータを分析した結果、「お客様探索ナビ」をオンにすると空車時間が平均しておよそ5%短くなることが明らかになった。さらに「お客様探索ナビ」が導入される以前の空車履歴の情報を用いて各乗務員の技能レベルを定義し、乗務員の技能ごとに「お客様探索ナビ」の効果が異なるかを分析した。その結果、空車時間の削減は低技能の乗務員でより大きく(およそ7%の削減)、高技能の乗務員への影響は限定的なことが明らかになった。このことはAI技術の導入が技能の低い労働者の生産性向上に寄与することを示している。

この研究結果はAIの普及が労働市場全体の賃金格差を減少させうることを示唆している。既存の研究結果はAIの普及が職業間の賃金格差を縮小させることを示してきたが、この研究結果はAIの普及が同一の職業の中での賃金格差も縮小させる方向に作用することを示している。我々の同一「職業内」での分析結果と、「職業間」に関する既存の研究結果を合わせて考えると、AIの普及は労働市場全体の賃金格差を縮小させる方向に作用する可能性が示唆される。この研究結果はタクシー乗務員という限られた職業での結果であるが、需要予測という一般性の高いAI技術のもたらした結果であることを鑑みると、他の職業でも同様の結果が得られる可能性があると考えられる。この予測が正しいかどうか、他の職業における同様の研究結果が待たれる。

 

 

渡辺安虎

渡辺安虎

1998年東京大学経済学部卒業。2005年に米ペンシルベニア大学で経済学の博士号取得(Ph.D.)。同年から米ノースウエスタン大学経営大学院助教授、2014年から香港科技大学HKUSTビジネススクール准教授を経て2017年、アマゾンジャパンのシニアエコノミストに就任。同社経済学部門長を経て2019年7月から現職。

川口 大司

川口 大司

2002年、米ミシガン州立大学経済学博士(Ph.D.)。一橋大学経済学研究科教授などを経て2016年から現職。専門は労働経済学、実証ミクロ経済学。現在の主要な研究として、新しい技術やマクロ経済環境の変化が、雇用・賃金に与える影響を労働者の異質性に注目し分析。また、労働者派遣業のデータを用いて労働市場における摩擦の大きさを計測し、それが労働者のスキル形成や賃金に与える影響を分析している。同時に様々な経済政策をミクロ実証経済学の手法を用いて評価する研究を行う。