略歴
1995年立命館大学大学院国際関係研究科修士修了、2000年、英サセックス大学ヨーロッパ研究所現代ヨーロッパ研究専攻博士課程修了。筑波大学国際総合学類准教授、北海道大学公共政策大学院教授、米プリンストン大学国際地域研究所客員研究員、国連安保理イラン制裁専門家パネル委員を経て2020年から東京大学公共政策大学院教授、22年から地経学研究所長。内閣府宇宙政策委員会委員(宇宙安全保障部会長)、日本安全保障貿易学会会長、国際宇宙アカデミー正会員、国際問題研究所客員研究員なども兼任。
米中対立をきっかけに、一時は一体化しつつあった世界経済がほころびを見せている。戦後の政治経済を安定させてきた国際的な枠組みが制度疲労を起こし、これまでにないリスクを世界にもたらしている。鈴木一人教授は国際関係論の研究者として、冷戦崩壊後にがらりと変わったこの30年の世界をリアルタイムで見つめてきた。2020年には、国際政治の変化と経済安全保障のありようを探究するシンクタンク、地経学研究所を立ち上げ、初代所長に就任した。2024年は、過去30年にわたり続いた世界の国際政治経済の前提が大きく変わる節目と説く。新しい国際関係論「地経学」を切り開いたいきさつやこれまでのキャリアなどについて鈴木教授に聞いた。
――鈴木一人教授は幼少期、米国で育ったそうですね。国際関係に興味を持ったのもそうした原体験からでしょうか。
鈴木 協和銀行(現りそな銀行)に勤めていた父の仕事の都合で、米国に育ちました。2歳から6歳まではニューヨーク、また高校1年の途中からカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサンマリノで暮らしました。当時、「ビバリーヒルズ高校白書」という学園ドラマが人気でした。私物を高校のロッカーに入れるシーンに始まり、そこから様々な人間関係が展開されるという、あの世界です。その米国の高校を卒業してから1990年に立命館大学に入学しました。
幼少期にニューヨークから帰国した当初は、周囲の友達や大人と、物事を捉える感覚や価値観の違いに戸惑いました。クラスの子が当たり前に見て育ったテレビ番組を自分は知らない。話の前提が分からないし考え方の違いも大きい。それが原因か、いじめられたりもしました。
そんな経験から、自分は米国人ではないのは当然としても、日本人とも言いづらい。「自分は一体何者なのか」を常に考える癖がつきました。そして人と共感したり理解したりし合えるとは始めから期待せず、まず相手のロジック、論理を理解しようと努めるようになりました。
だからか、何事にも少し距離を置いて、冷めて観察している部分があります。価値中立。学者に向いた特徴かもしれません。
社会科学の一部である国際関係論は、行動やロジック、論理を分析して国際関係を理解する学問です。例えば私が博士論文で展開したPolicy Logic Model(政策論理モデル、なぜこの政策をとったのかを理解するモデル)、Discourse Analysis(談話分析。どのような言説を使い、どのような論理で政策を進めているか解明する)、などといった分析の枠組みがあります。行動と対外発信を踏まえて相手の論理を知り、自分とは発想が異なる相手の論理を理解する。歴史の理解も重要になります。
例えばイスラエルはパレスチナと長い歴史の中で敵対関係にあります。2023年10月、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム武装組織ハマスからイスラエルに奇襲攻撃をしかけました。イスラエルが自衛権を主張して攻撃できる口実をハマスがつくってしまい、イスラエルのリミッターが外れたことが、昨年来のガザにおける戦闘につながっています。イスラエルは常に、殺される不安を脈々と民族で引き継いできた国です。特にネタニヤフ首相やその閣僚たちは、脅威の排除を目的に、人質100人の命より800万人のイスラエル人を守る、という信念にとらわれた状態になっている。
戦争を放棄した日本も、第2次世界大戦で全面的に敗北した経験によりつくられた価値観で政策を選択し、積み上げてきた行動の論理が非核三原則などの背景にあります。しかし海外の人々はそれを感覚として共有できません。背景にある論理が理解できないからです。
「自分と相手の違い」を論理で理解する
――日本のことも含めてそのように世界を「観察者」として俯瞰(ふかん)する国際関係に興味を持ったのも、幼少期の経験が大きかったのですか。
鈴木 2回目に米国に住んだ高校卒業の年、1989年前後は国際関係が大きく変化した年でした。ドイツのベルリンの壁が崩壊し、その翌年には東西ドイツが再統一し、その次の年には旧ソビエト連邦が崩壊しました。90年にはイラクのクウェート侵攻がありました。ほんの数年で、生まれたときから当たり前のものだった東西の冷戦状態が目の前で突如として崩壊しました。
国内情勢も大きく変わりました。私が中学~高校生ぐらいの頃の日本はバブル経済の絶頂期で、当時の米国は日本に取って代わられる不安におびえていました。米国も日本も経済が上向き加減のところで冷戦が終わり、国際政治は西側諸国の勝利、というイメージが広がっていました。
しかし前後して「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで持てはやされていた日本のバブル経済が崩壊し、国力が坂道を転がり落ちるように転落しました。世界でも例えばユーゴ紛争が勃発するなど、あちこちで雲行きが怪しくなっていきました。冷戦が終わっても世界がバラ色になるわけではなかった。今後どうなるのか全く想像がつかない状況でした。
混沌とした世界を見ながら、新しい世界の形を研究すれば、全く新しい学問を切り開くチャンスがあると考えました。当時の私には、国際関係論以外を勉強する選択肢はありませんでした。
――この30年を振り返って、冷戦崩壊後の国際社会においてそれ以前と最も大きく変わったのは何でしたか。
鈴木 自由貿易化が進んで世界中の国と国が経済的に結びつくようになり、経済がそれまで以上に重要になりました。そもそも冷戦が崩壊したのは、グローバル化する経済の中で社会主義的経済システムが立ちゆかなくなったからです。経済の国際競争が激しくなり世界が大きく変わる中で私が注目したのは、マーストリヒト条約で統合を目指した欧州でした。
欧州は、経済統合を進めるにあたり、政治的にも統合を進めるという新しい枠組みづくりに挑戦しており、新しい世界のあり方を示唆していると注目しました。固有の歴史がある国々が、主権を一部譲渡してでも統合を目指す。どういう背景があるのだろう、などと欧州統合について勉強するうち、欧州研究の世界的な権威であるヘレン・ウォレス博士の書籍『British Space Policy and International Collaboration』と出合いました。欧州の宇宙政策を研究したものです。
欧州の宇宙政策を研究
――当時は米ソの激しい宇宙開発競争が目立っていましたが、あえて欧州の宇宙政策に注目したのはなぜですか。
鈴木 この本はウォレス博士が英国シンクタンク、王立国際問題研究所(チャタムハウス)の欧州研究部長だった1985年、International Affairsという歴史ある査読学術誌に発表した研究に基づいています。米ソの激しい宇宙開発競争がたけなわの頃、米国が国際宇宙ステーションを多国籍プロジェクトとして立ち上げる時に、英国と欧州がどう関与していくかを決めるプロセスと、その決定内容を分析しています。
安全保障は国内政策、経済はグローバルな政策ですが、両方に関与するのが宇宙政策のような科学技術です。それぞれに独立している欧州各国の経済統合は科学技術が触媒になるのだと理解し、経済、技術、そして国家という組み合わせに大きな関心を持ちました。
米ソの陰になって目立ちませんが、実は欧州も60年代から念入りな宇宙政策を進めていました。読み進めていくと、「えっ、こんなこともしていたんだ」ということがたくさんあり、知らなかったことばかりで大変衝撃を受けました。イギリスでの学会の折などにウォレス博士と話す機会にも恵まれ、「師事するならこの人しかいない」と思いました。そして当時ウォレス博士が所属していた英サセックス大学の博士課程に進学したのです。
宇宙システムを3つの概念に整理
私が積み上げてきた宇宙政策研究の1つの集大成として、2011年には『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)を出版しました。国際政治における宇宙開発の分析枠組みとして、宇宙システムを「ハードパワー」、「ソフトパワー」「社会インフラ」という3つの概念に整理して提示したものです。
――研究成果が注目され、国際政治の意思決定の現場にも関与されました。
鈴木 2013年から2年間、国連安全保障理事会イラン制裁委員会の専門家パネルで委員を務めました。中東情勢をしっかり理解しないと意思決定ができないため、委員に任命されてから中東の勉強を始め、実務を通して多くを学びました。世界のいろいろな場所を訪ねましたが、どこに行っても日本を代表して活動している感覚に襲われました。とはいえ、大谷翔平がエンゼルスからドジャーズに移ったところで、大谷翔平は大谷翔平です。チーム日本のために頑張ってはいるのだけれど、チーム一筋という感じではなく、究極には個人の能力が問われる。私も、力の限りを尽くすけれども、それは日本のために頑張るわけではない。
世界を見て、グローバル化の進行による勝ち組、負け組がはっきりしたことを痛感しました。国、組織などより大きな組織単位に帰属して自分を同化させることにはもはや無理が生じやすいかもしれません。例えば会社がうまくいかないから自分もうまくいかないという他律的な発想に陥ったら、人生を他者に決められてしまいます。
――米国では保護主義的な政策が強まり、分断が深まっています。
鈴木 グローバル化が進んだ30年を支えたのがWTO(国際貿易機関)を通じた自由貿易の推進でした。国家の干渉をできるだけ少なくし、国の政治ができるだけ口を出さず、経済は経済の論理、市場の原理で動くのが最も効率的であるという信念でした。自由貿易が拡大し、CPTPP(環太平洋パートナーシップ包括協定、TPP11)のように多国間での貿易ルールを定める自由貿易協定ができました。誰がどこで取引したり投資したりしても、グローバルに最適化したサプライチェーンやビジネスモデルをつくるのがお約束だったと思います。
2010年が「経済の武器化」のきっかけ
ところが今、この30年の世界システムが大きく変わりつつあるというのが私の認識です。今、「経済の武器化」が進んでいるのです。例えばある国には資源が豊富、ある国には技術があるなど、国により豊富なリソースが違う中で国の政治がそれをコントロールしたら、強力な武器になることが明らかになりました。安いからこの国から買おうとか、投資しようとの判断だけでは立ちゆかない。そこで地経学という、地理的に規定された国家間関係に、経済的な側面から切り込む学問が必要になると考えたのです。
今までは、世界経済が統合していく中、国家自体は独立してバラバラなままであることの矛盾がどうなるかが私の研究テーマでしたが、ここに来て国家が上位に立ち、統合していた経済を分解していく逆転現象が起こりつつあります。
私のキャリアの最初に研究した欧州統合では、経済が統合しているので国家も統合していかなきゃ、と経済に引っ張られて政治が動いた。でも今度は、国が自国の権限や権力を使う形で、その経済をバラバラにしている。政治が経済に対して影響力を及ぼし、統合している経済を部分的にほつれさせている状態が今の地経学の世界です。
――出発点はどのあたりでしょうか。
鈴木 経済の相互依存が強まってきて、米国と中国にも様々に経済的なやりとり、取引が進んできました。経済効率だけなら、中国で100%作ったほうが安いとなったら、中国にまるっと依存してしまうでしょう。でも、それが突然ばしゃっと政治力で止められちゃうと、今まで中国に依存してきた人たちはいきなりはしごを外されて奈落の底に落ちていくわけです。それが2010年に実際に起きました。
沖縄・尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船と中国漁船が衝突する事件が起きました。日中関係に緊張が高まり、中国が電気自動車やスマートフォンなどで欠かせないレアアースの輸出枠を大幅に削減したため、当時、調達先の約9割を中国に依存していた日本の産業界は本当に困ったのです。中国のほうが安いからと中国依存が当たり前になっていて、輸出停止なんてことをされるとは夢にも思っていなかった。この出来事は、社会が目覚める1つのきっかけになったと思います。
自由に貿易していたつもりだったけれど、たまたま政府が手を出さなかったから自由にできていただけ。政府がその気になったらいくらでも貿易を止められるし、規制できるし、ルールも変えられる。そうした気づきから経済安全保障とか、地経学といわれる、地理的な力関係が経済まで広がる、幅広い理解が急速に重要になったのです。
服も、穴があくとだんだん大きくなってビリビリビリ破けていきますね。世界情勢もそうした状況になるのかどうかを見ていかないといけない。地経学という枠組みで見ていく必要があるのです。
バラバラになっていく世界
――経済でほぼ1つにまとまりつつあったものが、分断というより、バラバラに自律分散していく。
鈴木 一番象徴的なのがトランプ政権です。第二次大戦後、世界経済が統合するのがアメリカの利益だと言ってきたのが、トランプは、いやそれはアメリカの不利益だ、利益を守るためにはアメリカ・ファーストで経済の統合を断ち切らなければならないと言い始めた。それをバイデン政権も引き継ぎ、例えば半導体の輸出規制をかけた。こうしてどんどんと自由貿易を断絶させ、これまでつながっていた糸を切っていく作業を続けている。あちこちがほころびながら、だんだんばらばらになっていくイメージです。
より自由主義を進めていけば、統合による比較優位が働きますから、先進国ではより多くの研究開発やイノベーションに力を入れることになるでしょう。スタートアップやIT(情報技術)産業は自由経済だからこそ生まれたものです。しかし同時に生み出されるのが格差です。IT業界など、勝ち組に富と権力が集中し、新しい経済を引っ張っていくのですが、その裏に、比較劣位にある製造業などの多くの負け組が生まれる。グローバル化と世界経済の統合が進んでいけば、勝つ人はめちゃめちゃ勝つし、負ける人はものすごく惨めになっていく。これがポピュリズムを生み出している1つの原動力だと思います。
統合が進む中で新自由主義に振り切ったりした結果、福祉的な政策をやめるなどして格差是正のメカニズムがどんどん失われていった。効率性を重視しすぎたあまり揺り戻しが大きくなったという感じです。それがポピュリズムやトランプ現象、保護主義的な自国ファーストなど、自国の利益を優先する政策に反映している。
さらに、もう国際ルールなんか無視しちゃえとか、世界秩序より自分たちの利益が大事と、自国の利益を最大にしようとし始めたのがロシアのウクライナ侵略です。何か大きなたがが外れて、そこに中東情勢が加わり収拾がつかなくなった。それぞれが自国の利益だけを追求していけば、世界をつないでいた糸はどんどんほつれ、修復不可能になっていく。それが今の状況です。
自由貿易が戦争抑止力となる時代は終わる
――このグローバル化逆回転の行き着く先はどのような世界ですか。
鈴木 これまで信じられてきた、自由貿易が平和を生むというのは適切ではなく、実は、自由主義は戦争のコストを高めることで戦争抑止力にはなるけれども、戦争をなくすわけではなかったのです。グローバル化した世界の負け組みたいな人が力を持ってしまうと、経済的なコストよりも、戦争をやることによって得られるメリットのほうが大きくなってしまう。
経済的な相互依存は戦争のコストを高くするけれど、そのコストを上回るだけのメリットを戦争したい側が感じてしまうと、選択肢として戦争をし始めるのです。
――日本にとっては戦争のコストは甚大ですが、失うもののない国はためらわない。
鈴木 ロシアは自分たちに核兵器があるので攻められることもないし。ガスや石油を欧州に売っている中で、収入が止まるリスクがあっても、ウクライナを征服するほうがメリットがあるとプーチンは感じたんでしょう。経済制裁は抑止力にはならないのです。だから3年近くも戦争を続けている。
――こういう時こそ相手の論理による計算を慎重に理解しなければいけない。
鈴木 コストとメリットの計算ですね。我々が計算していたより、戦争のメリットの方が大きく出る、と考える独裁者がいることが明らかになった。戦争で得るものの方が多いと考える国がある限り、戦争はこれからもなくならない。戦うことでしか自分たちの抱えている問題を解決する方がないと考えてしまったら、戦争するしかない。こちらがいくら平和を願っても、戦争をしたい国があれば、戦争は始まってしまう。
社会のまとまりには「責任者」が必要
――技術と国家の関係でいえば、例えばAI(人工知能)がリーダーならそうした意思決定をしなくなるでしょうか。
鈴木 AIが定例業務や人間の判断の一部を担うようになりました。定型化された行動をAIがするのは問題ないと思います。ただ、人間には他者に面倒なことを決めてもらいたい願望があると思う。他力本願の意識が雪だるま式にふくらむと、知らない間に自分で決定する能力を失い、ホロコーストのようなことさえも起こり得る。人間が本来判断に責任をもたなければいけないことをAIに任せるのはリスクが大きい。AIの自動運転が人身事故を起こしたら、誰が責任を取るのか。社会のまとまりを維持するうえで大切なのは、誰が責任を取るのか決めることです。誰かが責任を取るという前提があるからこそ、社会が成立しているのです。
――これまでとは違ってくる国際関係の中で、個人は何を肝に銘じるべきですか。
鈴木 国際情勢がますます読めない時代になります。それぞれの人が、他者を感情や信念ではなく背景にある論理で理解し、自分たちのしたことの帰結がどうなったのかもしっかり理解しながら行動することが重要になるでしょう。
(構成・聞き手 広野彩子=日経ビジネス副編集長)