略歴
2001年東京大学工学部卒、03年同大学大学院修士(工学)、米コロンビア大学大学院で国際関係論の修士号を取得。12年に同大学院で経済学の博士号(Ph.D.)を取得。その後カナダ・サイモンフレーザー大学経済学部で研究と教育に従事。現在、American Economic Journal: Economic Policy、Journal of Health Economicsなど有力査読学術誌の編集委員を務める。また全米経済研究所(NBER)、労働経済研究所(IZA)、経済産業研究所(RIETI)、東京大学政策評価研究教育センター(CREPE)の研究職を兼任。東京大学エコノミックコンサルティングアドバイザーを務める。24年、高齢者や子どもの医療費無償化に関する実証研究で日本経済学会から石川賞受賞。大阪府堺市生まれ。
「子供の医療費無料化は過剰な受診を招く」「日本は明らかにデータ後進国」――。折に触れ、自らの実証研究を基にした鋭い提言を経済メディアなどで発信する重岡仁教授。2024年には日本経済学会の権威ある賞「石川賞」を受賞した。
センスが光る独創的な研究は、研究者以外の人々の興味をもかき立てる。経済学の最高峰の一つである査読学術誌「American Economic Review」に14年に掲載された研究では、医療費の高齢者1割負担が外来患者数の激増につながり得る事実をデータで示した。因果推論における自然実験で、21年のノーベル経済学賞を受賞したデービッド・カード氏、ヨシュア・アングリスト氏、グイド・インベンス氏が受賞した研究に使ったメソッドである。
学部は工学部出身で、経済学を初めて知ったのは米国の大学院に進学してからだという。世界で活躍するトップクラスの経済学者になるまでの道のりや、研究に込めた問題意識について話を伺った。
――重岡教授は精力的に研究に携わるかたわら、医療費の抑制、さらには政府によるデータ提供の重要性を粘り強く提言され、発信し続けています。ぶれない研究者というイメージがあります。
重岡 いやいやとんでもない(笑)。僕はむしろ芯がないと思っています。僕の研究テーマは、その時に一番面白いと思うテーマを、一緒に論文を書いていて楽しい共同研究者と一緒に取り組んでいるだけで、テーマが一貫しているわけではないです。もちろん医療経済学が専門で、他の様々なテーマに触れることで異なった考え方や手法を学びつつ、最終的に戻ってくるのは医療経済学という感じです。例えば僕には、企業の行動はなかなか想像が及ばないので、今のところそうした研究はあまりしていません。逆に、僕にとって想像しやすい、患者として医者に行く人間の行動といった経験的に理解できるテーマには積極的に取り組んでいます。僕の論文を見ていただければ、ほとんど数式を使っていないことに気づかれるかと思います。というか、数式が使えないだけですが……(苦笑)。
「あるべき」の信念は持たないが……
社会保障政策に関する研究を数多くしていますが、日本はこうあるべき、のような強い信念があるわけではありません。信念があると逆にデータを分析する際にこうした結果であるべきだというバイアスがかかる恐れがあり、できるだけ中立な視点に立てるからこそ学者の存在意義があると感じています。これが無料で本当にいいのか?など、普通の感覚で疑問に思ったことを研究し、先入観なくデータで実証して、結果が出たら論文として発信する、という感じです。
――研究者を志したきっかけは何ですか。
重岡 父は理系の学者で、子供のころ家には父の研究室の学生が入れ替わり立ち替わりやってきて、学者の卵ばかりを見ながら育ちました。一方で会社勤めの人とは接点がなく、会社員として働くのが想像しづらかったのが大きいかもしれません。
父の研究休暇についてアリゾナ州へ
――幼少期、米国に住まれた経験があるそうですね。
重岡 学者の父親の研究休暇で1年間米国に行くことになり、米国のアリゾナ州のツーソンという町に1年ほど住みました。庭に普通にサボテンが生えていて、夏は40℃を超えるような、日本では想像できないような自然環境でした。中学1年から2年の間にかけて住んだのですが、英語はまるで話せませんでした。数学の成績のみトップクラスでしたが、英語が読めないので、文章題だけできなくて、そこでいつも点数を落としていました。
ただ、英語はできなくても、バスケットボールやアメリカンフットボールを練習してうまくなると、米国人に認めてもらえて、仲間に入れました。今振り返ると、あの時に「どこに住んでもなんとかなる」というか、海外に対する変な抵抗はなくなりましたね。
帰国して通った中高一貫校では京都大学を志望する生徒が多く、東大に進んだのは私を含めて3人だけでした。工学系の理科一類に進み、化学システム工学を専攻しました。プラスチック廃棄の処理法や燃料電池の電解質膜の研究などをしました。
――そこから、なぜ経済学に転向したのでしょう。
重岡 実は数学がとても苦手でして。東大の入学試験も、どう自己採点しても、国語と英語の成績がよくて合格できた感じでした。東大でも数学の成績が悪かったので、とてもじゃないですがそのまま経済の博士課程には出願できるレベルではなかったので、留学先のコロンビア大学の修士課程で学部生に交じって数学を学び直したほどです。
実験で意識朦朧、「理系に向いていない……」
――数学が苦手とは、恐らく基準が一般人とは違うと思いますが、驚きました。留学先は米国のコロンビア大学の国際公共問題大学院SIPA(School of International and Public Affairs)で修士課程から入りそのまま博士課程に進学しています。海外の大学院を選んだのはなぜですか。
重岡 東大の修士課程の時は実験に明け暮れる日々でした。実験が嫌いだったわけではなかったですし、徹夜で取り組むことも当時は普通でした。しかしあるとき、徹夜明けで朦朧としてガスボンベの開け閉めを逆にして間違えたことがありました。先ほど申し上げたように、数学も化学も物理も苦手で、元々理系に向いていないなあと漠然と感じていたところでした。一歩間違えれば命に関わる失敗をした時、「やはり自分は理系には向かない」と強く思い、腹をくくったというか。
組織人として15年も待てず、研究者の道へ
――きっと「これじゃない」と思ったのですね。
重岡 もともと環境技術を途上国に移転したくて研究に携わったので、新卒で就職活動して国際機関への就職を希望しました。でもそこの方に「就職した後、1人前になるまで15年はかかる」と伺って、そんなに待てないな、と。燃料電池の技術移転をするような政策にはぜひ関わりたい、でも日本ではキャリアパスがない。ならば、と海外に目を向けました。家族も、我が家は博士号取得にむしろ歓迎ムードだったので、研究者の道に進むのは自然でした。コロンビア大学大学院に入学したのは03年ですから、それから18年間、海外に住んだことになりますね。
――経済学との出会いは大学院だったのですね。比較的、遅めのスタートです。
重岡 SIPAに入って初めて経済学を学びました。大学にもよりますが、公共政策系って、学際的なだけに学生一人ひとりの知識の差が大きいので、そこまで難易度が高くなかったのが、僕にとっては良かったと思います。経済学が人間の行動を数式化してインセンティブにどう反応するかといったことを分析する学問なのだと、そこで初めて知りました。
それまでは、全てをこちらが制御できる環境の中で様々なことを試すラボ実験をやってきたので、ある意味コントロールできない人間の行動をモデル化、数式化するなんて考えてもみなかったのです。その点が新鮮で、わくわくしました。
――就職先は、カナダのサイモンフレーザー大学でした。日本に帰国することは考えなかったのですか。
重岡 海外にとどまったのは、世界で勝負するなら米国、少なくとも北米にいたほうが良いと思ったのが大きいです。日本にいると、経済学の中心である北米やヨーロッパからやはり地理的に遠いので、Invisible(透明人間)になってしまう恐怖感があり、テニュア(教授職の終身在職権)を取るまではまずは頑張ってみようと思いました。
――透明人間とは?
重岡 世界の経済学界は、Publish or perish(論文出版か死か)と言われる厳しい世界です。経済学の本場は米国ですから、学会や研究セミナーも活発で、毎週のように豪華なゲストが訪れて研究報告するなど、日々の目に触れる研究や出会える人の質量が圧倒的に違います。
また、北米の大学に博士課程の学生として所属するのと、ファカルティー(教員)として関わるのとでは行動様式が全く異なりました。6年という期限がある中でテニュアを得るには何が必要か常に考え、周りと切磋琢磨して努力することも、聞くのと実際にやってみるのとでは大違いでした。それに、何事も日本以外を経験しなければ日本と比べることもできません。
世界で戦うなら海外にいるべし
実感したのは、研究を世界で広く認められたいなら、まずは日本に帰らず海外にとどまった方が良いということです。よほど海外生活の水が合わないわけでない限り、事情が許すのであれば、世界を目指す研究者はまずは海外にいたほうがいい。日本はやはり物理的に遠すぎます。
10時間以上飛行機に乗って2泊3日で、時差ぼけでへとへとになって学会やセミナーで発表するのと、2~3時間で気軽に行ける距離にいるのとでは、現地でのパフォーマンスに大きく差が出ます。また、かなりの大物でも2~3時間でサクッと来られるなら、気軽に来てくれます。サイモンフレーザー大学はカナダのバンクーバーにありますので、その意味ではよく学会が開かれるボストンや西海岸にも直行便が飛んでいて、恵まれていましたね。
家庭の事情をきっかけに日本を拠点に置く
――世界で活躍を続けながら21年9月に東大に移籍しました。きっかけは何でしたか。
重岡 研究環境や給与を考えれば、圧倒的に海外の方が有利だと思います。帰国する方々には様々な理由がありますが、お子さんや配偶者の事情、親の介護など、家庭の事情が多い気がします。僕の場合も、家庭の事情が大きかったです。サイモンフレーザーでテニュアを取れた後、ほどなく身内に不幸がありました。目標だったテニュアも得て、帰るのにいいタイミングと思いました。そういうことがなければ逆にふんぎりがつかなかったかもしれない。当時は新型コロナウイルス禍で、大学にほとんど行けなかったことも大きかった。人生、ちょうどいい頃合いってあるんですね。
――グローバルに活躍される重岡さんですが、個人ページは英語ばかりではなくて研究にそれぞれ、大変わかりやすい日本語のサマリーがついています。ご自身でお書きになったのですか。
重岡 そうですね。少しでも日本の方々に、研究内容を理解していただきたい思いで書きました。企業などにデータ提供などのご協力をお願いする際など、ウェブサイトを見てもらえれば、どういう研究をする人間かわかってもらえますしね。そのおかげで、大変スムーズに協力体制が構築できたケースもありました。
証拠に基づいたメリハリが必要
――企業の詳細なデータ、とりわけ大企業のデータで研究できればインパクトが大きいですし、政策が関係する研究の社会インパクトも絶大です。高齢者の医療費無償化の研究は、日本のみならず米国でも経済学の教科書にも収録されました。メディアで自ら提言もなさっています。
重岡 僕の研究結果は、難しくないですから。ワクチン接種など、本当に無償にすべきものはそうすべきだと思います。ただ、何でもかんでも無償にすると、必要もないのに病院に行く人がどんどん増え、国の医療費負担がますます膨らんでしまうことが、データからわかりました。少子高齢化で、社会保障費を払える働き手が年々減少している今の日本にはもう、医療費をどんどん出せるほどお金に余裕があるわけではありません。要はどんぶり勘定ではなくて証拠に基づいたメリハリが必要では、と言っているわけです。
正直、いろいろな団体からお叱りのようなお問い合わせもありました。一方で、国会で取り上げていただいたりもし、日本でも少しずつそうしたデータ分析に基づいた議論がされるようになったとは思います。
――高齢者だけでなく、子どもの窓口負担ゼロに対しても問題視しています。
重岡 3本ほど共著論文を書き、石川賞の授賞式ではその内容を講演で紹介させてもらいました。一般向けには18年に日本経済新聞へ寄稿しました。正直、それで何か世の中が大きく動いたとは当然思いません。ただ記事を見た自治体の長の方から、「窓口負担を増やそうと思っているのだが」というご相談が来たりしました。そういうのはうれしいですね。
高齢者か子どもか、の問題ではない
高齢者と子どもの医療費負担については、難しい問題ですね。子育て中のお父さん、お母さんからしたら高齢者にそんなに医療費を割くのなら、子育てにお金を回してもいいんじゃないかと考えたくもなる。心情的にはとても分かります。でもそれとはまた別問題で、高齢者の医療費問題も対応すべきだし、子どもの医療費についてもきちんと対応すべきだと思う。くどいですが日本には十分なお金がない、もしくはうまく配分されていないのです。研究費にしたって海外に比べたら1桁少ないし、たとえデータを使えても煩雑な手続きがあって使い勝手が悪い。給料も安く、国際的な学者をなかなか集められない。
――それでも、さらなる詳細なデータによる精度の高い研究環境を求めて、政府など公共データの整備について提言をされています。
重岡 政府のデータは公共財なので、データが整備されたら研究が進み、多くの人が恩恵を受けるでしょう。内閣府の研究会では、研究者の皆さんの意見を吸い上げる形で、データを活用する時の煩雑な手続きを解消してほしいと、一応研究者を代表する気持ちで提言しました。
高齢者の医療の窓口負担を2割に増やす政策が議論される際にも、所得制限の額をめぐってある政党はX万円、ある政党はY万円なのでじゃあその間を取ろう、という感じで根拠なく数字がやりとりされています。こうした時も、政治的な取引ではなくデータ分析に基づく議論をした方がはるかに合理的ですし、説得力があります。しかしデータ整備という面において日本は今、データもない、人もいない、といった大変心許ない状態です。
――データ整備について、海外はどうでしょうか。
重岡 北欧諸国は一番進んでいますね。国民総背番号制なので情報は取りやすいです。米国にも社会保障番号(SSN)がありますが、欧州ほど進んでいるわけではありません。とはいえ米国は、研究者の数が多く、州がそれぞれ個別判断で貴重なデータを提供しているケースも多いことが特徴です。全国レベルでは欲しいデータが存在しなくても、どこかの州にあって、活用できる場面が多々あります。日本でももっとデータの整備が進めば、もっと面白い研究ができ、世界にもインパクトを与えられるのに、ともどかしく思うことも多いです。
日本がポジティブな方向に進む芽とは
――日本の将来についてどう感じていますか。
重岡 正直に言うと、この国がポジティブな方向に進んでいく芽を探すのは難しいと思っています。新しい産業も育っていないし、大学もお金がなくて斬新な研究をするのがどんどん難しくなっている。食事がおいしいとか、治安がいいとか、人が優しいとか、国民は平均的に教養が高いとか、もちろんいいところもたくさんあります。ほとんど研究以外の面ばかりですが。
日本のピンチは研究者のチャンス
ただ、研究者としてはチャンスでもあります。僕は学部生時代、第28代東大総長だった小宮山宏先生(現三菱総研理事長)の研究室にいました。当時小宮山先生は、日本は課題先進国で問題だらけだ、だが逆にそれだけ新しいものを生み出すチャンスだとおっしゃった。少子高齢化を本当になんとかすることができたらノーベル賞級です。日本はこういう状況なのだ、と直視し理解したうえで、何ができるのかを考えるしかないのです。
新しい世界が開けているわくわく感を、若い世代にも体験できるようにしてほしい。自分の頃はまだ、親世代よりいい暮らしができる夢を見られましたが、現状は、これ以上悪くならなければいいという感じでしょう。これから災害も増えるし、安定的な長期雇用もなくなりそうだし、年を取ったらリスキリングが必要と言われる。日本で働くのは大変そうだという印象しかないかもしれない。
だからこそ海外にも目を向けてほしい。東大にいると自分はナンバーワンだと思ってしまうところがあると思うのですが、海外にはもっと優秀な人がいくらでもいます。圧倒されるほど優秀な人が大勢いる世界を一度でも見て、彼我の差を実感しながら日本について理解することが、ゆくゆく人生が飛躍するきっかけにもつながると思います。
思うことを思い立った時にやればいい
日本は早めにキャリアを決める傾向がありますが、好きなことはいつからやっても、ある程度なんとかなると思います。いつでも思い立った時に、思うことを思い切りやればいいと思います。
――これから、どのような研究をして発信していきたいですか。
重岡 たとえば相撲の八百長をデータで分析するなどユニークな研究で知られ、『ヤバい経済学』(原題は『Freakonomics』、翻訳書は東洋経済新報社)が世界中で大ヒットした米シカゴ大学のスティーブン・D・レビット教授の研究はどれも好きですね。あとは米カルフォルニア大学サンディエゴ校のゴードン・ダール氏や米ボストン大学のレイ・フィスマン教授の研究もとても好きです。彼らのように論文を読み終わったら何か一つ賢くなった、今までとは違う考え方が芽生えた、というような研究が理想です。
僕も今は、政策に役立ちそうな、実践的な研究が多いかもしれません。ですがそれに加えて一見、役に立つかは分からないけれど「この研究、めっちゃ面白い!」と言ってもらえて、玄人筋からも「これはすごいクレバーだ」とか「こんな発想はなかった」と話題になるような論文に憧れますね。人生で一本でも良いのでそういう独創的な論文を書いてみたいです。
(構成・聞き手 広野彩子=日経ビジネス副編集長)