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東京大学公共政策大学院 | GraSPP / Graduate School of Public Policy | The university of Tokyo

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キャンパスアジアプラスの学生Abigail Chuaさんが寄稿したエッセイ『Reclaiming time, place and belonging: Fukushima 12 years on』がKomaba Timesに掲載されました2024年04月26日(金)

キャンパスアジアプラスプログラムに所属するAbigail Chuaさんが寄稿したエッセイ『Reclaiming time, place and belonging: Fukushima 12 years on』がKomaba Timesに掲載されました。

Komaba Timesは、東京大学駒場キャンパスの英字情報誌です。2011年に創刊され、2019年秋学期より学生によって運営されています。

Chuaさんの記事はISSUE 13: BELONGINGの24-25ページに掲載されています。

(以下、日本語仮訳)

2011年3月11日、冬の寒い日に東日本大震災が発生した。地震、津波、原発事故という3つの災害が重なり、死者19,700人以上、負傷者6,000人以上、行方不明者2,500人以上という壊滅的な被害をもたらした。あれから12年、私は公共政策大学院のキャンパスアジア・プラスの授業の一環として、服部先生、総務省職員、クラスメートとともに福島を訪れる機会を得た。そこで私は、この土地の静かな美しさ、地元の人たちの回復力、そして住民たちが心に抱いている未来への揺るぎない希望を目の当たりにした。

私たちの旅は、3.11の直接的な影響を受けた福島の2つの町、すなわち浪江町と双葉町を訪れた。浪江町と双葉町である。第一原子力発電所から放射性物質が外部に拡散したため、住民たちは避難を余儀なくされ、いつ戻れるかわからないまま急いで家を出た。今日、多くの人々が、再び根こそぎにされたくないなど様々な理由で、これらの町の外に住み続けている。また、津波のトラウマにまつわる言葉にならない深い感情が残っている人もいるだろう。

それでも、浪江町の住民自治会長である佐藤さんのように、戻ることを選んだ人たちもいる。浪江町には老人ホームなどの二次的なインフラがなく、あらゆる年齢層のコミュニティが充実していないにもかかわらず、彼は自分の故郷である浪江町に戻ることを選んだ。浪江の新しい未来を創り、新しいコミュニティを形成するために、浪江に新しい人が来ることを歓迎すると、学生たちに力強く語った。

福島に興奮と革新を呼び起こすのは、この新しい創造の感覚だ。政府は、再生可能エネルギー、ドローンやロボット技術、起業家のためのインキュベーション・スペースなど、新興産業の新しい工場や研究拠点を建設し、福島の活性化に努めてきた。町を車で走ると、広大な未利用農地がソーラーパネル敷地に生まれ変わり、太陽の光をクリーンなエネルギーに変換している。新しい形の産業を育成し、福島経済の回復を後押しするために、専用の助成金制度やイノベーション支援が設けられている。

しかし、未来に向かって前進している一方で、過去は福島の現在の生活を彩り続け、孤独感が続いている。東日本大震災・原子力災害記念館の写真や展示を見ていると、大自然に対する人間の小ささを目の当たりにする。津波に襲われ、残されたものを理解するのに苦労する。金属製の看板は紙のように折れ、コンクリート建造物は砂のように崩れ落ちる。最もありふれた日常品が、最も大きな影響を与える。30度近く左に曲がった信号機、びしょ濡れになってケースから外れたタイムシートのパンチカード、漂流した一足の靴。
自然災害とは無縁のシンガポールから来た私には、震災が福島の人々に与えた損失と苦痛の本当の深さを理解しようとする権利も根拠もないことを自覚している。私にできることは、広大な海を見つめ、何年も前に海岸に到着した波の高さを想像することだけだった。同時に12月のあの晴れた日に私たちが経験した平和と静けさに驚くばかりだった。

 自然の力強さに謙虚になる一方で、人間の精神にも感銘を受けた。浪江町立請戸小学校では、一人の生徒が勇気を振り絞って先生や他の生徒を近くの丘まで誘導し、生徒と先生全員を津波から救った。他の報道では、日本人同士がお互いを気遣い、親切にしていたことが伝えられている。他国からの援助もまた、私たちが持つより大きな国際社会と共通の人間性を物語っている。

その反面、政策立案の観点から、個人的に学んだ点も複数あった。第一原発については、津波による原発への影響の可能性を大幅に過小評価するなど、さまざまなリスク評価の誤りがあった。さらに、特に住民の避難については、災害の実際の程度や取るべき行動について、住民の多くが知らされないままだった。これらのことから、私はシナリオ・プランニングの重要性と、政府内だけでなく、主要な利害関係者に対する対外的なコミュニケーションの流れを強化することの重要性を再認識した。

福島の未来がどうなるのか楽しみであり、福島を訪れる機会を得られたことに感謝している。福島がこれからも繁栄し続け、住民のさまざまな希望が、成長し、根付く場所を見つけ続けることができますように。